« 豆カメラと共に半世紀 | メイン | 久し振りで梶ヶ森に上がりました »

一領具足の碑

 初冬の好天の一日、高知市の景勝の地、桂浜にある「一領具足の墓(いちりょうぐそくのはか)」を見たくて車で走りました。南国土佐の海は冬でも壮大な明るさを称えています。その太平洋を見渡す元、浦戸城址の近くに墓がありました。
 一領具足とはNHKの大河ドラマでも放映していたように、戦国時代に四国を統治していた長曽我部元親(ちょうそかべもとちか)の家来で、普段は農業を営みながら、いざ戦争という時、武器を手にして戦った兵士のことです。
 関ヶ原の戦いのあと元親(もとちか)は豊臣(とよとみ)の軍勢に敗れ城(浦戸城)明け渡しとなったとき、元の、主君に忠誠を誓った民兵たちが一揆を起こし、遂にはニ百数十名の兵士が騙し打ちにあって、殺されたところです。種崎の浜(たねがさきのはま)は「千松公園(せんしょうこうえん)」とも呼ばれ、沢山の松が乱立する美しい砂浜です。私も小学生の夏、ここにキャンプを張って海水浴に親しんだことがあります。桂浜から浦戸大橋を渡れば種崎です。
 民兵たちが処刑された日は晴れていたのか、曇っていたのか。あれから400年の歳月を経て、今もあの日と同じ浜風が、磯に打ち寄せる波の音を送り、殺された民兵たちの叫び声を伝えているようでした。
 良く晴れた空に、ここ種崎から桂浜に懸る浦戸大橋が大きい虹の弧を描いていました。桂浜で彗星会議が開かれた1972年ごろには、橋が未完成のまま、中央でドッキング寸前であったことを思い出しました。会議は長宗我部元親公の居城であった「浦戸城址」で開かれたのでした。

一領具足の地蔵
(参詣の花が絶えない)


About

2006年12月09日 22:47に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「豆カメラと共に半世紀」です。

次の投稿は「久し振りで梶ヶ森に上がりました」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。