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豆カメラと共に半世紀

 元ミノックスクラブの会長で、ミニチュアカメラの愛好家である金井 浩さんが小惑星に命名されました。(関勉の発見した小惑星一覧表参照)。金井さんは1915年東京生れの写真家で、既に星となっている「ミノックス」カメラの研究家です。若い頃、渋谷の駅で主人を待つ「名犬ハチ公」を度々見かけて頭を撫でたと言いますからその時代が感じられます。ミノックスカメラを中心に永い事写真を撮りつづけ、多くの傑作をものにされました。90歳を過ぎる今も現役で活躍されていることは素晴らしいことです。今年の5月、京都での撮影会でお目にかかり、同じ宿でお話を聞く機会があったことは光栄でした。
 さて私とミニチュアカメラの付き合いですが、戦前の小学生のころクラスメートの可愛い赤いがまぐちの中に入っている「ミゼット」を見たのが始まりでした。

当時のミゼットを思わす豆カメラのシャラン

 幅18mmくらいの裏紙のついたフィルムを使って12枚ほど撮影していましたが、シャッターは1/25とバルブしかなく、レンズも固定絞りの定点撮影でしたが、思ったよりは良く撮れていました。このころから豆カメラへの病み付きが始まったのですが、当時は太平洋戦争勃発の前夜で、カメラやフィルムの入手の大変難しい時代でした。その頃大映系の「あなたは狙われている」という、スパイ映画が上映され、その中で登場したスパイカメラのフィルムを苦心して入手するシーンが印象的でした。
 何とか豆カメラが欲しいほしいと思いながら、場末の闇市を見回っていると、古い兵隊靴の横に「グッチー」が置いてあるのを見つけ、母にねだって購入しました。今思えばこれほど嬉しかったことは他にありません。有頂天になって、母や、クラスメートの顔を写して周りました。お陰で貴重な二度と取れない写真を撮影しました。修学旅行で京都に行った時、坂本竜馬が遭難した、河原町の近江屋の取り壊される前の写真を撮りました。戦争が激しくなってから、ますますフィルムの入手が困難になりましたが、自宅の中庭に掘った防空壕の写真はこのグッチーで写したものが、悲惨な当時を語る唯一の資料となっています。

1945年春、中庭に掘られた防空壕

 そうです!この壕の上に、戦後になって星を観測するための櫓が出来たのです。かつて敵機に慄き空を見上げていた同じ場所で、平和な戦後今度は星を仰いで新しい彗星を発見する事となるのです。  いま私の手許にあるポンコツの豆カメラは、そのまま私の歴史でもありました。戦時中高い所から高知市街を撮影していて、特高(特別高等警察)にスパイと間違えられカメラを没収された事なぞ懐かしい思い出です。当時はスパイでなくても、高い場所からの俯瞰撮影が禁止されていたのです。

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2006年11月27日 19:32に投稿されたエントリーのページです。

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