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飛行船の幻想

 梅雨のまだ上がらない午後、自宅の屋上に上がって東の空を見ていたら、一機の飛行船が珍しく空を浮遊していました。
 私がまだ幼少の頃、高知市の空に大きな白い飛行船が現れて、祖父が屋上で見せてくれた記憶があります。1935年頃でしょうか、白い巨体が夕日の空に彗星の如く棚引いていた印象です。
 当時は飛行船は国と国をつなぐ交通の重要な役割を果たしていました。そして日本では軍事的にも使われたようです。然し火災による事故が絶えませんでした。私が高校生のころ、国語の教科書に寅彦と飛行船のことが書かれていました。寅彦は研究室ではいつも煙草を吹かしながら冗談ばかり言っていました。そんなある日、珍しく真顔の寅彦が入ってきて「実は軍部から重大な仕事を依頼された、皆真剣に取り組んでくれ」と言って事のしだいを説明しました。それによると当時たくさんの軍用の飛行船が作られましたが空中で爆発して墜落する事故が相次いだそうです。外国ではドイツからアメリカへの定期船がアメリカに到着した空港の上で炎上し、大惨事を引き起こした有名な事件があります。
 寅彦らの研究班は遂に無線用のアースを機体に取り付けたことが原因で、船体には燃えやすい水素がつめられていたため機体の金属の繊維が火花を散らして水素ガスに引火したそうで、飛行船とは危ない乗り物だったわけです。
 それから何年かたって、太平洋戦争の始まったばかりの頃、やはり夕日の西の空に、白く細長いものが輝き、夕日と共に沈んで行った事を思いだします。私はやはりそれは飛行船とばかり思い込んでいましたが、よく考えると、その頃は飛行機が発達して飛行船の時代ではありませんでした。戦時中「パラスケ・ボプロス彗星」と言うのが白昼見えたと言う記録がありますが、まさかそれではありますまい。”パラスケ・ボプロス”とは彗星を機上から発見した飛行士のことです。
 高知市の上空に現れた飛行船は当時のことを回顧するように市街の上を漫遊していました。山の緑は輝き、白い雲は湧き夏たけなわです。


筆山(高知市)の上空を飛ぶ飛行船

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2006年07月10日 23:00に投稿されたエントリーのページです。

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