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京都に来ました

 訳あって京都に来ました。
京都駅の南口から二条大橋までの4キロ余りの道のりを歩きました。乗り物を探して乗るのも面倒と鴨川にそってテクテクと都大路を北上しました。お陰でいろんな名所旧跡を見物できました。
 鴨川に沿った河原町の一角に新撰組が襲撃した「池田屋」の跡を示す石碑がひっそりと建っていました。ぱちんこ屋のある繁華街の一角でぱちんこ球のはじける音に130年も前の剣激の音を連想しました。じっと正眼に構えた勇の虎徹の光。それを取り巻く志士たちの無数の剣。勇の物凄い掛け声と共に舞台は展開して行きます。
 勤皇の志士たちの隠れ家のあった高瀬川付近には今も昔の風情がそのまま残っているように思いました。池田屋と竜馬が遭難した近江屋は僅かな距離ですね。大昔見た土蔵の近江屋の面影は全くなく、そこや繁華な街の歩道の片隅でした。町並みが全く変わったのです。昔はもっと鴨川に近い場所であったように思いました。
 二条大橋近くの「ホテルフジタ」で全国から集まった10名のミニチュアカメラ愛好家の方々と会いました。そうですミノックスです。明日30日はミニ撮影会が催され、いろいろ名所旧跡を訪ねたいと思っています。天文学的な何か発見があるかもしれません。
 ミノックスは1930年代に北欧地中海(バルト海)に面した小国ラトビアのリガで生まれた名機です。撮影画面が僅か8x11ミリと小さく、しかも精密で、一体誰が何の目的で作ったかはナゾです。1950年の値段が日本円で5万円と言いましたから、いかに高級カメラだったかが伺われます。1940年ごろの日本映画に「第五列の恐怖」というスパイ映画があり、その場面でポケットからミノックスを出し横浜の軍港を撮影すれシーンがありましたが、もしかするとスパイ目的に開発されたかも知れませんね。誰が見てもライターとしか見えませんでした。1986年、私はこれでかのハレー彗星を撮影し、ミノックスカメラの展覧会に出品しました。「ミノックス」という小惑星があることは、ご存知のとおりです。

竜馬と中岡遭難の河原町近江屋の跡

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2006年05月29日 23:00に投稿されたエントリーのページです。

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