講演会で佐川町(さかわちょう)の長寿大学に行ってきました。最近は65歳以上のお年よりが多くなって、県下にこうした生涯学習の団体が実に多くなりました。そして毎年年度末に集中することが多く、この2月は3件あります。そして面白いことにご婦人が断然多く、いつも100人内外集まるのですが、男性は1割いるかいないかです。そして質問に立つのも殆どがご婦人です。帰りに公民館に立ち寄るとそこの物置に山崎正光(やまさきまさみつ)さんの使っていた20cmコメットシーカーを模した経緯台がおかれていました。そうです、この佐川町は日本でもっとも早く彗星を発見した山崎さんの郷里だったのです。公民館にある小高い山から彼の家のある九段田、日野地地区がかすんでみえていました。むかしは星の美しい里でしたが今では多くの建物が出来てその山麓の塵煙にかすんでいました。望遠鏡を作ったのは山崎記念天文台のメンバーですが、いまはその会は存続しているのか。公民館の人の話では見学の申し込みがあれば天文台を公開しているという事でした。どうやらハレー彗星接近の頃をピークとして熱は衰退して行っているように思いました。天文台は腕の立つ使い手がいないとどうしても衰退します。公民館の中に土地の生んだ偉人のポスターが掲げられていました。小説の森下雨森(もりしたうそん)に声楽家の下八川圭介(しもやかわけいすけ)、植物学者の牧野冨太郎(まきのとみたろう)に維新の英雄、そして政治家と、多くの偉人を生んだ町ですが、山崎正光さんの写真は見つかりませんでした。山崎さんが水沢の木村栄(きむらひさし)氏のもとで緯度変化の研究を行ったのは1920年代で、そのころ人目を避けるように20cmの独特の形をしたコメットシーカーを自作したようです。今も古い建物は残っているそうですが、いつの日にかこの場所を訪ねてみたいと思っています。