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五藤斉三氏寄贈の望遠鏡は現役です。

 僅かな早春の光のある街中を歩きました。高知は冬は結構寒い日もあるのですが、春先は断然早いのです。気温は低くても、太陽の輝きはもう早春です。
 市内で一番繁華な帯屋町(おびやまち)を西に向っていると、昔の大名屋敷を思わせるいかめしい門の前に来ました。古い門に大きい門札がかかっていて「五藤」とあります。北を見ると土佐24万石の山内一豊(やまうちかずとよ)公の居城がこちらを見下ろしています。
 一豊はある戦場で敵の矢に打たれ、それを介抱したのが五藤という家来でした。有名な話で、そのときの矢尻や部下の履いていたわらじは今でも残っていて、安芸(あき)市の「歴史民族資料館」に保存されています。そうです、ここの五藤家はその子孫であられたのです。ここには大名屋敷風な長い土塀があったのですが、今は取り壊されて書店になっています。門の中に静かな築山があって古い時代の風情を残しているようでした。
 安芸市土居の出身で高知県に60cm反射望遠鏡を贈った五藤斉三(ごとうせいぞう)氏は、この五藤家の分家の人で、安芸城のある公園の中に古いゆかりの家が残されています。五藤さんと天文台の予定地を探してこの付近を歩いたことが、つい昨日のことのように思いだされます。私が今も60cmを守り続けるのも、彼の好意を無駄にしないためです。五藤さんが、出身地としての高知県に贈った数々の天文施設で、現役で動いているのは芸西天文台だけです。

五藤家の門


高知城と追手門


山内一豊(関ヶ原での戦い)

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2006年02月01日 23:00に投稿されたエントリーのページです。

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