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 第一発見者の佐藤裕

 第一発見者の佐藤裕久さんが送信して下さったSWAN彗星(C/2005 P3)の画像を初めて見ました。さすが良く映っています。たしかに拡散状ですね。これでは測定の精度が上がらないでしょう。
 26日には芸西に行きましたが、この彗星が沈んだころ晴れました。夏のこの位置はいつも雲がかかっていて観測になりません。この日の観測はO-Cを参考に僅かに改良した値をMPCに送りました。
 今日は曇り、明日あたりC/2005 R4を狙ってみます。いま60cm反射望遠鏡のコンソールの位置表示が時間で狂っており、出鱈目でよく1時間違えて写したりします。分のオーダーは合っています。10月に五藤光学が来るでしょう。

 昨日Yさんという方から初めての電話がありました。CBの発行を始めた30年前、20歳代の若いハンターでしたが、いまでは50歳代となり、いまだ発見の夢を捨てず時々観測をやっているそうで、快活で愉快な会話を30分も続けました。なんでも藤川・デニング彗星発見の時、極く近くまで見ていたそうです。この日古い横浜の会員の西山峰雄氏からも電話があり、最近音沙汰が無かったので心配してお問い合わせのハガキを出してあったのです。氏は私より先輩のはずですが、心配するどころかトライアスロン?の世界大会で1500mを泳いだそうです。氏は古橋、橋爪時代の日本的な水泳選手であったはずです。私は9月18日のマスターズ全国大会(高知)で100mのブレストを泳ぎました。西山さんは昔、神田茂さんの下で小惑星の円軌道を計算するメンバーの一人であったことを知る人は少ないでしょう。大石さん、森さん、富田さん、竹内さん、それに私他でした。ガウスの5桁対数表、にバフシンゲルの天文表なんかを神田の古本屋に探しに言った事なんか懐かしいですね。そして買った本にM,Yなんて昔の大先生の名がサインしてあったり、、、、。あの頃の学生は参考書をも売る貧しい時代でした。1955年頃、ガウスの対数表を探していたら長谷川一郎さんが「高知大正門前の”池上書店”に行ってみなさい。」と言われるので、小津町の今は無い古本屋に行ってみると正にそのとおりありました。どうして長谷川氏が知っていたのか会ったら聞いてみようと思いながら遂に何度も忘れてしまいました。古い机の上は対数表とノートと鉛筆だけという質素な時代が懐かしいですね。そして夜の捜索は野外で小さなコメットシーカーとスケッチブックと赤い懐中電灯だけ、襲いくる寒さと戦いながら、計算と観測に奮闘したすがすがしい20歳でした。

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2005年09月28日 23:00に投稿されたエントリーのページです。

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