« スカイ&テレスコープ誌に記事が載るようです | メイン |  第一発見者の佐藤裕 »

’野口英世’さんが小惑星に命名されました

 昨日の夕、天文台に行きました。目的は先の台風13号による被害の修理と夕空の満月後初の観測でしたが、あいにく雲が多くて観測になりませんでした。60cm反射望遠鏡は故障から後、リモコンが使えたり使えなかったりしています。これはどうやらスイッチのあるリモコンボックスの中の接触不良が原因らしいですがはっきりした事は分かりません。昨晩は正常に働いていました。いつ故障が起こるかも知れぬと言う何か爆発物の処理でもしているような、ヒヤヒヤものです。とくに大事な観測中はいつガイドが不可能になるかも知れないという不安が大きくのしかかっています。
 今朝福島県の佐藤裕久さんからのFAXで、かねてからIAUに申請してあった野口英世さんの名が芸西で発見した小惑星(9964)に命名されたことを知りました。ただしアメリカ人には日本人の名は難しいのか、HideyoがHideoになっていました。早速訂正を申しいれたのですが。
軌道計算ではマースデン氏の先輩に当たる廣瀬秀雄さん(元東京天文台台長)が居られ、その名に馴染みがあったのかもしれません。外国では日本人の名を良く間違えるらしく、その廣瀬先生の談によると、往年盛んに軌道計算をやっておられた日本の長谷川一郎氏と古川麒一郎氏のご両人が同一人物になっていたそうです。お二人の名前をローマ字で並べてみると、なるほどと思わせられます。
 Itirou Haswgawa
 Kiitirou Hurukawa
ざっと見ると大変良くにています。古川さんは頭文字を"F"ではなく"H"を使われましたので余計雰囲気が似てしまったのです。ご両人とも世界的な軌道の研究者であられることは周知の通りです。
 いずれにしても私が小学生のころから尊敬し愛していた苦難の大医学者、野口さんの名が星空に永遠に輝くことになったことに大きな喜びを感じます。

About

2005年09月21日 23:00に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「スカイ&テレスコープ誌に記事が載るようです」です。

次の投稿は「 第一発見者の佐藤裕」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。