所用のため高知道を走って松山に行き、帰りは新緑の美しい仁淀川(によどがわ)沿いの33号線を通って帰宅しました。車の走行距離はこの10年間で19万3千キロ。夕方自宅に着くと、夜また芸西に走りました。
人は大変だと思うかもしれない。しかし生涯現役で観測の仕事を続けることこそ幸せであり人生の華だと思うのです。往年の観測者や発見者が、今はリニア等の活躍で辞めてしまった人が居られますが、折角の業績も辞めてしまえば忘れられます。何時までも自分の道を歩み続けることこそ真の生きがいだと思います。道は遠く険しくとも、彼方に輝く理想の光を見失なってはなりません。
色あせた古いアルバムを見ていたら、1961年の「セキ彗星」発見前夜の1961年9月15日、三嶺(みうね)の深い山中をさまよっていた頃の自分の写真がありました。長い険しい山道には人生の縮図があった。この日を期して悟りを開き私の人生は変わりました。発見への絶望から五里霧中の中を模索し悩んでいた頃の私です。
三嶺の谷間で
1961年9月
人は大変だと思うかもしれない。しかし生涯現役で観測の仕事を続けることこそ幸せであり人生の華だと思うのです。往年の観測者や発見者が、今はリニア等の活躍で辞めてしまった人が居られますが、折角の業績も辞めてしまえば忘れられます。何時までも自分の道を歩み続けることこそ真の生きがいだと思います。道は遠く険しくとも、彼方に輝く理想の光を見失なってはなりません。
色あせた古いアルバムを見ていたら、1961年の「セキ彗星」発見前夜の1961年9月15日、三嶺(みうね)の深い山中をさまよっていた頃の自分の写真がありました。長い険しい山道には人生の縮図があった。この日を期して悟りを開き私の人生は変わりました。発見への絶望から五里霧中の中を模索し悩んでいた頃の私です。
三嶺の谷間で
1961年9月