今日で11月もおしまいです。昨日は薄明と明月のわずかに暗い谷間に星を求めて芸西に走りました。久し振りに西北天にまだ明るいC/2001
Q4 (NEAT)を観測しました。
先日の25日芸西に来られていた望月征司さんからメールがあり、あれから梶が森の天文台をたずね、そして祖谷(いや)のかずら橋等を見物して帰ったそうです。望月さんは芸西の60cmを設計した人で、その望遠鏡で発見した星に”Mochizuki"と命名されています。そのお礼と今後の60cmのメンテなんかについて、県の人を交えての相談とアドヴァイスを与えに来られたのです。製作から20年以上が経過して老朽化し、また専用に使用していた命の6415テクニカルパンが発売中止となり、CCDへの移行を視野にいれての節目に来ています。芸西がこれから更なる発展をするのか、滅亡するのか、それは我々の努力にかかっています。望月さんが来台中に天文台は折からの秋の落日を迎えました。私は美しい入日を眺めながら、天文台が落日でないことを祈りました。その異常な美しさには、未来への希望が感じられました。
望月氏(右)と共に60cm反射の下で
芸西天文台と落日
先日の25日芸西に来られていた望月征司さんからメールがあり、あれから梶が森の天文台をたずね、そして祖谷(いや)のかずら橋等を見物して帰ったそうです。望月さんは芸西の60cmを設計した人で、その望遠鏡で発見した星に”Mochizuki"と命名されています。そのお礼と今後の60cmのメンテなんかについて、県の人を交えての相談とアドヴァイスを与えに来られたのです。製作から20年以上が経過して老朽化し、また専用に使用していた命の6415テクニカルパンが発売中止となり、CCDへの移行を視野にいれての節目に来ています。芸西がこれから更なる発展をするのか、滅亡するのか、それは我々の努力にかかっています。望月さんが来台中に天文台は折からの秋の落日を迎えました。私は美しい入日を眺めながら、天文台が落日でないことを祈りました。その異常な美しさには、未来への希望が感じられました。
望月氏(右)と共に60cm反射の下で
芸西天文台と落日