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 発達した低気圧の通

 発達した低気圧の通過で4日の夜から台風並に吹き荒れました。しかし今日は一転して初冬らしい青空の好天に恵まれました。
 芸西の天文台は「高知竜馬空港」を発着したり、あるいは東京から九州方面に向かう飛行機の進路に位置していますから、天文台の上空は沢山の飛行機が飛びます。とくに高い空を短い飛行雲を引いて飛んでいる姿はホウキ星の形に似てハッとすることがあります。四国から夕暮れの九州上空に差し掛かったころの高空の飛行機は殆ど動かない状態で彗星のしっぽのような白い雲を漂わすものですから、太陽に接近したホウキ星を連想してしまうのです。
 この夕焼けに漂う小さな飛行雲が、まるで日周運動で天体が地平線に沈んで行くように極めてスローに移動していくのを見ているとき、私は今から50年以上も昔、彗星か流星痕かの怪しい天体として、日本天文研究会の神田茂(かんだしげる)氏に報告した事を思い出しました。と言うのも研究会の機関紙に同じ日、香川県での目撃談が出ており、私の見たものと大変似ていましたので、約1ヶ月遅れて報告した訳です。
 しかし今思えばその頃(1953年頃)には大変珍しかったジェット機の飛行雲ではなかったか?と思い、実に半世紀振りにそのナゾが解けた思いでした。当時この様な報告は案外沢山あった様に思います。当時は南北朝鮮の動乱が終ったばかりの頃で、ジェット機の旅客機は無く、おそらくアメリカの軍用機ではなかったかと思います。

 懐かしい写真が出てきました。1962年東京上野の科学博物館で行われた日本天文研究会の5月の例会で、向こう側の右端が神田茂会長で、左へ3人目の方が坂上務(さかのうえつとむ)氏、写っていませんが研究発表をしている人が大阪から参加した佐藤明達(さとうあきさと)氏だと思います。
 上野公園は春たけなわで百花爛漫の美しい光景でした。その中を闊歩する私は希望に満ちた32歳。そうです”セキ・ラインズ彗星”を発見したすぐ後でした。
[日本天文研究会例会の写真]
日本天文研究会の例会
右端に会長の神田茂氏。左へ3人目が坂上務氏
1962年5月

[長谷川一郎氏との写真]
長谷川一郎氏(右)と関
1962年5月 須磨にて

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2004年12月05日 23:00に投稿されたエントリーのページです。

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