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コメットシーカーの怪(4)

 今の自宅の観測所(MPC 370)は1950年代には15cmの反射を使用していました。その頃の高知市は人口18万人で公害も少なく、今の芸西より空は良かったほどです。観測所から東南に有名な筆山(ひつざん)があり、その右手に皿が峰、小石木山などの低い峰が連なっています。
 奇妙な事件は1950年代の終わりごろから起こり始めました。即ち火の気の無い深夜の皿が峰一帯の山で盛んに火事が起こり始めたのです。これはどうやら放火の疑いもあるとて毎夜消防や警察が張り込んでいましたが、怪火はまるで捜査陣の裏をかくように起こり続け、ついには同時に二箇所以上で発生したりして、どうもこの道のプロが時限装置を使って火事を起こし、遠くからそれを見て楽しんでいる様にさえ思えるのでした。そして犯人は遂につかまらず、永久に未解決の事件として、犯罪史に残るようになったのです。
 今から30年ほどの昔"草加次郎"と名乗る人物がいて、怪盗ルパンまがいに捜査網を撹乱して逃げまわっていましたが、どうやらこの放火魔も、それと共通に、犯罪を楽しんでいるようにさえ思えるのでした。
 『犯罪を予告する。警察の捜査網が迫ってくる。しかしそこには誰もいず、まんまと物取りを成功させた男の証拠のみが人をあざ笑うかのごとく残されている。』
 "草加次郎"の名は新幹線を利用した犯罪の大捜査を最後に、永久に姿を消す事よなりました。
 今回の放火事件で私はふと今は多くの人から、忘れさられたこの猟奇な事件を思い出したのです。ところが本当に誰も、放火犯を知らなかったでしょうか?
 1959年の暮れも近づいた12月上旬のことです。私は例によって自宅庭の観測所から夜明け前1時間の東南の空を捜索していました。ところが、その問題の山からパッと火の手が上がったのです。距離は直線で2Km。私は反射的にコメットシーカーを火事の方向にむけました。そこにはメラメラと燃え上がる赤い炎に映し出された犯人と思しき人物の顔があったのです!私はただちに望遠鏡の倍率を200xに上げてみました。戦斗帽を冠りナッパ服を着た農夫か、労働者風の中年風の男は火事を見届けると、風の如く現場から立ちさっていきました。
 (つづく)

筆山の月
自宅の観測所(MPC 370)から

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2004年07月23日 23:00に投稿されたエントリーのページです。

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