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8月16日の怪

 太平洋戦争の終った1945年8月15日の翌日、奇妙な事件が起こりました。
 高知市の自宅から芸西の天文台に向かう途中に「住吉」と言う美しい海岸があるのですが、実はここに戦時中、特攻隊の基地がありました。その名も「震洋隊」です。特攻隊と言っても飛行機ではなく、二人乗りの小さな舟艇に爆弾を積んで、敵の艦艇に突撃するもので、全国に沢山の基地があったと推定されます。
 戦争は終わったはずの1945年8月16日の夕刻、待機する基地に一通の怪電報が飛び込んできました。
「ダイ119シンヨウタイ タダチニシュツゲキセヨ」と。
 高知県の震洋隊の本部は今の須崎市に有りました。この怪電報は恐らくここから発信されたもので、隊員はそれを信用して、出撃の準備を始めたのです。海岸の林の中の倉庫に隠してあった爆弾を約200名の隊員は22隻の舟艇に運び始めました。ところがどうしたはずみか1個の爆弾が暴発し、22隻の舟艇は次々に大爆発を起こし、111名の隊員が犠牲になりました。
 高知県でも最も美しい青い海岸は一瞬にして赤く悍ましい修羅場と化したのです。近くの目撃者の話によると、何人かの兵士がまるで凧のように、空高く舞い上がっていく姿が見られたそうです。


震洋隊殉国慰霊塔

 10年ほど前になるでしょうか。私はこの現場を初めて訪れました。夕暮れでした。林の中には当時爆弾を運んだと思われる国防色に塗装された車両が大破したまま残されていました。暮れなずむ海は静かでした。何事も無かったかのように青い波が白浜に打ち寄せていました。
 海を背にして帰ろうとすると、ふと後ろからの引く力を感じました。犠牲になられた多くの英霊の魂でしょうか。隊員は高知県と言うより県外の兵士が多かった筈です。故郷に帰りたかったでしょう。私は薄闇の中に海鳴りが聞かれる海岸に向かって静かに合掌をしました。


住吉の海岸

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2015年08月18日 23:00に投稿されたエントリーのページです。

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