« 関・ラインズ彗星発見の思い出 | メイン | ポン・ウィンネッケ流星群の火球? »

池谷・関彗星発見から50年

 立春を迎えてやっと春らしい陽気となりました。しかし芸西天文台のある“桜ヶ丘”はまだ花見の宴は行われていません。

 今年は“池谷・関彗星”発見50周年になります。高知県では特にこれに関連する催しはありませんが、お隣の愛媛県では、これを記念して講演会が開かれる予定で、確定しましたら「一般掲示板」でご案内します。

 実は、このことを意識したわけではありませんが、この2月に高知市の子ども科学図書館で「関勉展」と天文講演会が開かれました。この約半世紀に渉って天文の研究をしてきた関勉の観測機器や星図、野帳、それにメダル等を展示しました。そしてその期間中に関勉の天文講演も行われました。会場には芸西天文学習館の講師、松木公宏氏らの発案で“池谷・関彗星”を発見した時代の“物干し天文台”がセットされ、その台のうえでの講演となりました。台は木工を得意とする図書館のあるスタッフが日曜大工で作ったそうですが、演台に上がった途端にあの彗星を発見した夜のことが思い出されました。そうです、台風の接近で、遠く10kmも離れた桂浜に打ち寄せる波の音を聞いていたのです。そうしたなかに現れた彗星は、私の目の前にある、これも再現された白い四角な木の筒のコメットシーカーで発見したのです。私は思わず懐かしい望遠鏡にすがりました。そして静かに捜索しました。こうして誰も見ていなかった、あの夜の彗星を発見した状況が、あれから50年も経って初めて多くの人に見てもらう結果となったのです。


再現された物干し観測台に立って講演する関

 会場には多くの子供たちが居ましたが、中には熱心な天文ファンやアマチュアも居ました。愛媛県から駆けつけて下さった竹尾さんらも見えました。そして発見の当日観測しながら惜しくも見逃した、という往年のコメットハンターらしい顔も遠くに見えて驚かされました。

 記念すべき9㎝のコメットシーカーは今度、高知市にできる科学館に寄贈する事になりました。
 芸西で長く観測し、多くの小惑星を発見した60cm反射望遠鏡も、中東のレバノンの大学への贈与が決まっています。

About

2015年03月21日 18:43に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「関・ラインズ彗星発見の思い出」です。

次の投稿は「ポン・ウィンネッケ流星群の火球?」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。