高知市の中心やや南に聳える筆山 はリクレーションの山として昔から市民に親しまれてきました。山ノ内家代々の墓地があり、また太平洋戦争時、軍神と言われた長野修身 元帥の墓があることでも知られています。しかし月の名所としては余り知られていません。
昔から歌や詩に歌われた月の名所があります。たとえば『コロラドの月』、中国の『廬山の月』など有名ですが、”筆山の月”も、これらに劣らない美しい、そして風情のある月の名所です。
夏の夕方、風呂から上がって二階の籐椅子にゆったりと腰を落として、うちわ片手に見る月は、何とも言えぬ落ち着いた気分にしてくれました。音楽の好きな私は、当時LP盤でベートーベンの『月光のソナタ』を聞きながら、筆山の峰に登る月を楽しんだものです。
その頃の私は20歳、彗星の発見が最大の目標でした。ほかのことは何も考えずに、遠い理想に向かって一筋に生きた頃が懐かしいです。名月を仰ぐ心も瞳も純粋でした。そして10年の歳月を経て月に祈る敬虔な心がやっと報われたのです。
発見に成功して眺める”筆山の月”は一層美しく雄大に見えたものです。今夜もあの頃と同じ月が筆山の上に顔をだしました。
筆山に昇る月
昔から歌や詩に歌われた月の名所があります。たとえば『コロラドの月』、中国の『廬山の月』など有名ですが、”筆山の月”も、これらに劣らない美しい、そして風情のある月の名所です。
夏の夕方、風呂から上がって二階の籐椅子にゆったりと腰を落として、うちわ片手に見る月は、何とも言えぬ落ち着いた気分にしてくれました。音楽の好きな私は、当時LP盤でベートーベンの『月光のソナタ』を聞きながら、筆山の峰に登る月を楽しんだものです。
その頃の私は20歳、彗星の発見が最大の目標でした。ほかのことは何も考えずに、遠い理想に向かって一筋に生きた頃が懐かしいです。名月を仰ぐ心も瞳も純粋でした。そして10年の歳月を経て月に祈る敬虔な心がやっと報われたのです。
発見に成功して眺める”筆山の月”は一層美しく雄大に見えたものです。今夜もあの頃と同じ月が筆山の上に顔をだしました。
筆山に昇る月