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シルバー大学で講演しました

 今日7月3日、高知城の近くの「高知文学館」のホールに講演に行きました。すぐ近くに聳える高知城は先日小惑星に命名して以来、初めて眺めました。朝日に映えるお城の姿は、特別に懐かしく、私には意味のある姿です。
 そうです、1961年10月12日、初めて彗星を発見して、お城の下の電報局に打電するためにやって来て、朝の6時、東京に打電を終えてホッとした時、北の上空に朝日に映えた高知城の凛々しく美しい姿がありました。やっと宿願を果たしたという心で見るお城の姿は、その白い城壁がただ美しく神々しくさえ見えました。あの日の感激を忘れず、いま高知城を”大高坂城(Otakasakajyo)”として星に命名したのでした。大高坂城(おおたかさかじょう)とは築城時の名です。
 文学館のホールには100名余りの熟年の聴衆が集まっていました。いま「シルバー大学」とか「老人学級」とかいった団体は多く、面白いことに、特に女性が熱心で、今回集まった会員も、なんと90パーセントが女性で占められていました。7月22日の日食のお話を冒頭に、色々な星の話をしましたが、講演が終わると意外な人が名乗り出て、良く懐かしい珍しい話が弾むものですが、今日もその例に漏れず、70歳が近いと思われるご婦人がつかつかと近づいてきて、「覚えていらっしゃるでしょうか?私は60年前にプラネタリウムで解説をやっていた中村で御座います」と語ったのです。
 思い出しました!1950年に高知市の帯屋町で私たち有志が手作りのプラネタリウムを製作して第2回目の”南国博覧会”に合わせて開業したときに解説をやってくれた数名の女性の1人でした。あのときのドームの中で木霊(こだま)した彼女の美声は今でも耳の底に残っていました。とたんに悲喜こもごも苦労して造ったプラネタリュウムの時代のことが、目まぐるしく私の脳裏を回転しました。その下りは「プラネタリウムと潜水艦」という変わったタイトルでこのホームページの「ほうきぼしと50年」に何回かに渡って載せてあります。猟奇に満ちた話です。この中村さんには久保内徳夫君という私と中学で同期の従弟がいたのですが、卒業して間もなく消息を絶ったので、心配していたのですが、その後病死したと言う話をきき愕然としました。中2の時にはすぐ近くに住んでいてよく遊び、ともに勉強しました。1945年7月4日の高知市大空襲や、翌年12月の南海大地震も共に体験した数少ない親友の1人でした。彼の父は牧師で家は小さな教会になっていました。クリスマスの日の早朝、観測をやっていましたら、突然賛美歌を歌う合唱が聞こえてきて身の引き締まるような神々しさを覚えたことを思い出します。レンズの中には数万光年彼方の散開星団が光っていました。


帯屋町筋から見た高知城とその大手門

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2009年07月03日 23:00に投稿されたエントリーのページです。

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