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第二池谷・関彗星の思い出(2) - コンパレーターの中の彗星

 コンパレーターとは、彗星や小惑星の写真を撮った時、その位置や大きさを測定する装置のことで、「XY座標測定器」とも呼ばれていました。しかし、今はCCD観測が行われるようになり、パソコンがそれに代ったために今ではほとんど用がなくなりました。
 旧、東京天文台には、当時数千万円もするというマン製の大型測定器が座っていましたが、いまは無用の長物になって、その行き先に困っている、と言う話も、第三者から聞いたことがあります。この日記の昨年の12月28日号で紹介した島津製作所製の乾板測定器は、1970年ごろの値段が50万円ほどで、到底一般に買えるような物ではありませんでした。其の頃、彗星の写真観測を始めた私は、なんとか、それまでのスケッチ等による概測ではなく、精密な位置観測がしたいと思いその入手に万全を尽くしましたが、遂に買えず諦めるより他はありませんでした。
 当時世界で、コンスタントに彗星の精密位置観測をやっている天文台はプロに限られて10箇所も無い有様で、もしここで、アマチュアが進出するならたいへんな貢献が出来るに違いない、というのが私の考えであったのです。しかし天文界の考えは保守的で、「アマチュアが精測なんかやるものではない」という考えが、プロ、アマを問わず、根強く存在したのです。アマチュアの世界的な進出による革命的な今日の状況を想像しなかったのでしょうか。”先見の明がない”とはこうしたことを言うのでしょう。
 しかし、私の理想は1967年に実現しました。明るい小惑星の測定を手始めに、其の年に発見された「第二池谷・関彗星」の精密位置観測を始めたのです。当然内外から多くの反響がありました。まずスミソニアンのマースデン博士が東京天文台に問い合わせてきたことは、前の日記で書いた通りです。日本と違って彼は、それを歓迎したのです。
 其の時使った手製のコンパレーターはなんと1500円程度の費用でできたとんでもない代物で、東京在住のアマチュア天文家も視察に来たほどでした。測定の光学部は手持ちの天文用のケルナー25mmのアイピースを使い、その焦点面にオリンパス製の精密な十字線マイクロメーター(ガラスに0.1ミリ目盛のスケールを刻んだもの)を貼り付けてありました。一種のスケールルーペです。この簡単な測定器で、当時、実に多くの彗星の位置観測を行い、当時のスミソニアン天文台から発行された、ハガキ型のIAIUCに載りました。測定には精密な恒星のカタログが必要でしたが、時を同じくしてスミソニアンから人工衛星の観測を目的とした「SAOカタログ」が発行され、アマチュアには大きな福音となったわけです。
 先日、周期約9年のスイフト・ゲーレルス彗星(64P/Swift-Gehrels)が埼玉県の門田健一さんによって早々と観測されましたが、その前回帰の1991年には芸西で観測していました。今、当時の原版を取り出して見ると、測定するための比較星が少なく苦労したことが伺われます。反射鏡では、位置測定のための比較星が少なく、しかも遠いとコマ収差の影響もあって、良い測定が出来ないのです。しかし今はGSCカタログの出現によって、その欠点は解消されたのです。 当時の論争に対する回答は結果で勝負する、という考えは今も燃え続けています。

 写真は今でもフィルムの測定に使われているニコンのコンパレーターです。


コンパレーター(左)と測定用PC(GSCカタログの星を表示)

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2009年07月11日 23:00に投稿されたエントリーのページです。

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