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高知城の日時計(お昼のドン)

 土佐24万石の最後の殿様、山内容堂公は多少天界に興味があったものと想像されます。山内家の蔵にはドイツのシュナイダー社製の天体望遠鏡も発見されました。また多くの渾天儀(こんてんぎ)は江戸時代の天文学者川谷薊山(かわたにけいざん)の作ったものと推定されます。お城の本丸のある庭には江戸時代の日時計が備え付けてあります。これは日時計というより一種の正午計で、子午線に沿って張られた針金の影が下の石に彫られた南北の溝と一致するとき正午と見たのです。
 この正午を合図にお城のある三の丸では大砲を一発ぶっぱなしていました。その音は市内一円に響き渡り、私たちは「お昼のドン」といって親しんでいました。この作業は昭和15年(1940年)ごろまで続けられました。昭和16年、太平洋戦が勃発すると、この野砲は軍に調達されました。そしてそれに変わる、実に優雅な音が午前6時と、午後6時に市民の耳に伝わることとなったのです。


日時計

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2009年06月09日 22:19に投稿されたエントリーのページです。

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