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黎明の鐘の音

 大高坂城(高知城)の三の丸には長い事眠り続けている鐘があります。正午を告げる大砲が引退した後、この鐘が朝夕の6時を告げる”時報”として永い事、市民に親しまれて来ました。当時は人口18万の小さな市街でしたから、当時の静寂な大気の中を、町の隅々まで響き、市民の心にホッとした慰安と明日への希望をを与えました。朝の鐘の音は、「さあ、これから仕事に出よう」と言う励ましの力強い鐘であり、夕べの鐘は、一日の仕事を終えた人へのねぎらいのやさしい鐘の音でもありました。
 1950年の12月だったと思います。其の頃自宅に近い工場の廃墟の屋根で観測していた私は、快晴の星月夜の下、収穫こそ無かったものの、美しい明け方の空を捜索できた、という満足感に浸っていました。たとえ発見が無くともコメットハンターとしての、最も充実した嬉しい時間なのです。少しずつ黎明の光が射し、やがて薄いピンク色の夜明けの活動が始まろうとする時、一つ二つと消え行く星影に別れを惜しむかのごとく、午前6時を告げるお城の鐘が響き始めました。その美しい鐘の音は市内一円に響くと共に、静寂な私の心の隅々まで染み渡り、この上ない慰安を与えてくれたのです。深い夜からやがて活気を取り戻す一瞬の隙間に響く高知城の鐘の音は今でも私の耳の中に残っています。
 鐘にそっと触ってみました。この鐘には60年以上の歴史がありました。黒ずんだ真鍮の冷たさに1950年ごろの苦闘した頃の夜中の寒さをふと思い出しました。そう、あの頃は寒さとの戦いが大変だった。それから収穫の無い10年間が過ぎたのでした。そして11年の歳月の流れた1961年10月、初めて発見した彗星が、この天守閣の上に輝いたのでした。観測の後にいつも聞いていた鐘の音は、この時にはもうありませんでした。発見の感動のあとに、あの鐘を聞きたかった....。
 二の丸まで降りたところで、1人の老人に会いました。老人は頭上の高い梢を見上げながら、「今年は、このはずく(・・・・・)の姿が見えませんね」と呟くように言いました。そういえば、昔は夜が深まると、梟の鳴き声が、盛んに鼓打つように聞こえていた。それは朝夕の鐘の音と共に2km離れた私の家まで聞こえていました。今は町も喧騒を極め、昔のように、かすかな梟の鳴き声に耳を欹てるような風情は無くなってしまいました。


三の丸の鐘

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2009年06月10日 22:07に投稿されたエントリーのページです。

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