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関・ライインズ彗星の思い出(1)

 2月4日は立春です。いつもこの日が訪れると物干し台で発見した関・ラインズ彗星のことを思いだします。
 深夜、天文台の近くまでやってきて、お天気がはっきりしないので、下の農道で待機していました。南には少し晴れ間があって大犬からとも座あたりの星が見え隠れしていました。そこにとも座の2等星ゼータが異常に明るく輝いていました。1962年2月4日の発見劇は、この星の近くで火蓋が切られたのでした。


 「彗星の発見は無欲でなくてはならない」という言葉を度々聞きます。正に、その典型的な例が、この「関・ラインズ彗星」の発見であったと言っても良いと思います。そして彗星を発見するためのレンズは、光学的に、最高の品でなくてはならない、とは我々の大先輩の本田実氏の言葉です。当時私が使用していた口径87mm F7の屈折鏡は名手苗村氏の手になる会心作で、相性のいい35mmエルフレアイピースの助けもあって、実に剃刀の刃のような、鋭く明るく、そして立体感のある星像を見せてくれました。これによって、口径の割に暗い彗星まで識別でき、しかも名鏡の生みだす無類の星の美しさは、何時までも飽きることなく、わたしの心を星の世界に導いてくれました。これこそ発見のための大事な条件だったのです。そして1965年9月19日の朝、月光で明るい海へビ座の中に、かすかに光る彗星像を見分けたのも、この名鏡のお陰であると思います。この彗星は、私の人生の明暗を分けた意味でも、重要な発見であったと思っています。そうです、手のひらに乗るこの小さなレンズが、私の心の灯台となって、宇宙を照らしてくれたのです。
 1962年2月4日、夜遅く仕事から還った私は、門をくぐると中庭に設置した物干し兼天文台に上がりました。折から南天には、壮麗な冬の銀河が光の滝となって落ち、私のレンズは無心にこの光の滝の中を彷徨し始めたのです。いつもの決まりきった掃天の作業です。「早く彗星を発見したい、」という意欲は微塵もなく、私は名鏡に写る星座の美しさに陶酔し、ただ時間が流れて行ったのです。
 とも座の2等星ゼータの近くに、モーローとした彗星像をキャッチしたのは、間もなく日付が変わろうとする24時前のことでした。南の人家の屋根が視野(3.5度)の下の一部を占領するほどの位置の低さ、これは正に奇跡としか言えません。しかも、この南の地平線に低い位置を、もう1人アメリカのアリゾナ州で見ていようとは!!


 このような思いをめぐらしているとき一台のパトカーが赤い警ら灯を回しながら近づいてきました。なにか不審車とでも思ったのでしょう。これで2回目です。天文台まで後1キロ、ようやく晴れ始めた空に気を良くして、ドームまで行ってみることにしました。
(続く)


関・ラインズ彗星は南天 -40°の
とも座ゼータ星(2等)の近くで発見された

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2009年02月04日 19:00に投稿されたエントリーのページです。

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