«  寒くなりました。今 | メイン |  スバルの近くを北上 »

 年末から年始にかけ

 年末から年始にかけて好天が続き観測がはかどります。
 マックホルツ彗星は芸西の主砲60cmを中心に21cmと16cmのイプシロンが活躍しました。60cmでは大きな緑色のコマが印象的で(写真1)、短い尾がまるで火薬玉の短い導火線のように写るだけですが、Fの明るいイプシロンで長時間露光すると見事な2本の尾が現れます(写真2)。太陽から正反対方向の青いイオンの尾と太陽に逆らうように噴出した赤っぽいダストの尾が対象的です。しかし尾の大変薄い彗星ですね。
 1月2日には3.2等くらいで明るいのですが、比較的コマが小さいので、一般的には双眼鏡を使った方が良いでしょう。
 1月1日は上町の自宅でも物凄い星月夜で、完全に肉眼で見えました。そうです。ここは1961f (Comet Seki)をはじめ6つの新彗星を発見した場所で、元旦には当時の素晴らしい星空が再現されました。

 多くの戴いた年賀状には今のマックホルツ彗星を飾ったものや、自慢の土地の風景が描かれたものがありましたが、中にとても変わったのが1通ありました。出されたかたは五藤光学に勤務する児玉光義さんで、なんと19世紀の終わりから20世紀の始めにかけて出版されたガウス全集の中から2冊(天体軌道論と誤差論)をカラーで撮影してありました。私は昔ヤングというアメリカの天文学者が出した「Manual of Astronomy」と言う本をアメリカに長く留学していた山崎正光(やまさきまさみつ)さんにもらって持っていたことがあります。本は皮の表紙の大変がっちりした厚い本でしたが、ガウスの本も全くそれに良く似たデザインの本です。このような貴重な本をどこから手に入れられたのか。児玉さんは若いころコメットハンターで、度々お手紙を下さったことを覚えています。
 ガウスといえば1900年代のはじめシシリー島で最初の小惑星ケレスが発見された時、彼独特の理論によって軌道計算をやったことで有名ですが、その彼の軌道計算法をイギリスのマートンらが多少改良したものが、パソコンの出現するまでの間、各国で長く使われました。1955年頃から私が軌道計算を始めたころ、小惑星の軌道決定で、天体までの距離の近似値を知るためにいきなりガウスの四次方程式が出てきて多いに面食らったことを覚えています。それを解くためのテキストは何もなく、ただ解法を自分で考えて四苦八苦しながら計算を進めて行ったことでした。一般に四次式には解が4つあるはずですが、実際にグラフの上に現れたのは2つで、よく解をまちがえて、とんでもない軌道を計算したものです。
 いまガウスの理論書を見せ付けられたとき、軌道計算をしながら、須磨の長谷川一郎氏(写真を星雑草2004年12月5日に掲載)を訪ねたことが昨日の様に思い出されました。そう!自分で発見した彗星の軌道を自分で計算する。その様な夢がかなった時でもありました。
[60cm反射によるマックホルツ彗星の写真]
(写真1) C/2004 Q2 (Machholz)
2005年1月2日 20時50分から8分間露出
60cm反射 ISO 800フィルム

[16cm反射によるマックホルツ彗星の写真]
(写真2) C/2004 Q2 (Machholz)
2004年12月31日 20時12分から20分間露出
ε160 F3.3  ISO 800フィルム

[ガウス全集の写真]
(写真3)ガウス全集
(上)第7巻天体軌道論(1906年)
(下)第4巻誤差論   (1880年)

About

2005年01月03日 23:00に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「 寒くなりました。今」です。

次の投稿は「 スバルの近くを北上」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。