M. Meyer (Limburg, ドイツ)と G. W. Kronk (Belleview, イリノイ州, 米国)によると、1808年
9月、Jean-Louis Pons (Marseille天文台)が、おそらく彼の"Grand Chercheur"望遠鏡(視野約3°
口径は不明。Roemer 1960, ASP Leaflet No.371を参照)を使って発見した彗星の同時代の手書き
の手紙の中に含まれている高度と方位角のデータから位置を導き出した。
この彗星は19世紀の天文文献にはあまり記載されておらず、そのためX/の呼称すらなかった。
彼らの新しい本(Kronk and Meyer 2023, *Catalog of Unconfirmed Comets*, Vol.1, pp.77-80,
Published by Springer)を研究する過程で、彼らはL. Schulhofによるこの彗星の簡潔な言及(1885年、
A.N.113, 143)とC. G. Bigourdanによる彗星に関する既知の情報の要約(1899, Bull.Astronomique
16, 62)に気づいた。Bigourdanは、1808年9月16日に書かれた J. J. C. Thulis (Marseille天文台
長)からParis天文台のJ. B. J. Delambreに宛てた1808年9月16日の彗星に関する発見情報が記載さ
れた手紙を公開した。Bigourdanは、B. A. von Lindenau(Seeburg天文台長)が他の何人かの天文学
者に宛てた彗星に関する手紙の存在に注目した。KronkはLindenauの書簡をGoettingen科学アカデミー
で見つけた。LindenauはPonsから、他の者が受け取ったと思われる情報よりも多くの情報を受け取っ
ており、Lindenauの書簡にあるその情報によって、MeyerとKronkは、概略の位置を導き出すことが
できた。9月16日の2回目の観測はかなり悪いようで、彗星は"小さくて暗い"としか言われておらず、
8?9等というのは彗星の明るさを推測したものである。
MeyerとKronkが導いた発見位置は次のとおり、
1808 UT R.A. (2000) Decl. Mag. Observer
h m d '
Sept.11.8832 6 11.1 +84 19 9 Pons
12.8818 10 22.2 +88 26 "
13.9018 15 50.0 +85 04 "
14.8733 16 32.6 +80 23 "
15.8691 16 47.3 +75 21 "
16.9239 17 00.4 +70 24 "
16.9875 16 57 +70 43 "
18.9337 17 05.4 +62 01 "
中野主一氏(中央局)による放物線軌道要素は次のとおり。
T = 1808 Sept.14.1660 TT Peri. = 32.0631
Node = 24.5104 2000.0
q = 1.062224 AU Incl. = 132.9718
From 7 observations spanning 1808 Sept. 11-18 (mean residual 0.16 degree).
(CBET 5258)