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関勉著「未知の星を求めて」

− 立ち読みコーナー −

未知の星を求めての表紙

T 関・ラインズ彗星の発見

   彗星か、まぼろしか

 1962年2月4日の深夜、私は手製の天体望遠鏡を操作しながら、南の地平線を見つめていた。
 2月4日といえば立春である。暦の上では、既に春を迎えたことになるが、連日の寒波は一向に衰える様子もなく、空には氷片のような星屑が冬の荒い大気に揺さぶられて、激しく明滅していた。
 10分、20分、夜露を含んだ寒気は、私の全身を包み、時刻の経過と共に、手足がひどく痛んで来た。
 レンズの中を静かに流れる、無数の星々を眺めながら、極度に精神を集中し、寒さを忘れようとする。しかし、思い出したように襲いかかって来る寒さ。寒さと精神の闘争である。
 新しい天体を求め、観測を開始してから、既に30分を経過しようとしていた。
 夜露は、望遠鏡の白い鏡筒を流れ始めた。
(耐えられるだけ、耐えるのだ。)
 私は、心に激しく、むち打ちながら、視野に映る星々を、じっと見つめていた。
 やがて、幾十、幾百の微光星の群れが、静かに瞬きながら私の視野をよぎって行った。
(こんな所にも、美しい星団があったのか!)
 新しい発見に喜びながら、さらに視野を移行しようとした次の瞬間、朦朧(もうろう)と輝く一異状天体を捕らえたのであった。
(彗星か?新彗星かも知れぬ!)
 心は早くもそう叫んで、動悸が高鳴り始めた。もはや寒さも感じず、何の物音も聞こえなかった。
 私は食い入るように、視野を見つめ、両手は、望遠鏡のハンドルをしっかり握ったまま動かなかった。
 それは、極めてかすかな天体であった。望遠鏡の丸い輪郭の中に、幾百の小さな恒星が、それぞれの生命を象徴するかの如く、チカチカと明滅しているのであるが、その中の一個の星が、まるで、雲でも通して眺めるように淡く滲んでいるのである。
 われわれは、彗星といえば、すぐ、かの有名なハレー彗星の如く、サーチライトのような尾を引いた、雄大な姿を想像するのであるが、望遠鏡的に発見される程度の彗星は、その大半が尾を見せない、はなはだ微細な存在なのである。
 そして、次第に太陽に接近するに従って、その体積は増大し始め、見事な尾を見せる場合が多く、俗にいう”ホーキ星”としての、完成した様相を呈して来る。
 そのようなわけであるから、発見当初は、尾の有無によって、黒白を判定することは、困難であって、まず、その天体の運動を確かめるのである。
 およそ、あらゆる天体の中で運動していない星は一つもない。われわれの、肉眼に映ずる普通の恒星でさえも、それぞれ固有運動を行っているのであるが、われわれから、極めて遠方に存在するので、百年や千年では目につかないのであって、かの有名な北斗七星も、極めて遠い将来には、その形がくずれて行くのである。
 彗星は、われわれ太陽系に属する、比較的近い天体であるから、長時間眺めていると、背後の恒星に対する、位置を変えるのだ。
 私は、問題の怪しい天体を、視野の中央に入れ、しばらくの間、じっとして、その運動に注目した。勿論、短時間では、彗星のモーションがわかる筈はない。
 それにしても、漆黒のような、冬の夜空を背景にして、きらめく星々の何と美しく、あでやかなことか!私は、時刻の経過して行くのも忘れ、それらの天体に陶酔してしまった......。
 それから、どのくらい経ったろう。私の心に、ふと、ある疑惑が生じた。
 それは、いま見ている天体は、星図に載っている既知の星ではないか?という心配である。
 しかし、普通の星では絶対にない。その証拠に、小さな点像ではなく、明らかに滲んだ雲霧状である。
 雲状であれば、既にわれわれに良く知られている、星団や星雲の類であろうか?
 私は素早く、手元の星図を取り出し、懐中電灯の光で調べ始めた。
 星図には、われわれの肉眼に映ずるすべての恒星と、彗星に紛らわしい星団や、星雲が記入されており、新天体を発見した場合、その判定に非常に役に立つのである。
 私は入念に、いま見ている星の位置と星図とを対照してみた。
 ところが、以外にも今まで新天体とばかり思って見つめていた星が、チャンと星図に出ているではないか!
 私は、呆然として自分の目を疑った。
 そんな筈はない!あの輪郭の朦朧とした神秘的な光芒は、彗星独特のものである。
 それは、過去、十数年来ホーキ星を追っかけ、星の観測に専念して来た経験から来る絶対の自信であった。
 私は再度、星図を凝視した。
 しかし、淡い懐中電灯に映し出された記号は、鮮やかに既知の星団(星の群れ)であることを示していた。
(やはり、彗星ではなかったのか。)
 私は失望した。大いに期待もし緊張していただけに、落胆は大きかった。
 この星図は、最近アメリカで出版されたもので、その信頼性は高いのである。
(彗星に良く似た天体もあるものだな。)
 私は、興奮の冷めやらぬ気持ちで、深夜の観測台を降り始めた。しかし、この天体は本当に新彗星ではなかったろうか?
 ちょうどこの頃、われわれとは地球の反対側に当たる、アメリカのアリゾナ州において、ある出来事が起こっていたのであった。



Copyright (C) 1999 Tsutomu Seki. (関勉)