テイラー彗星は1916年に南アフリカで眼視的に発見された短周期の彗星
である。11等級の比較的明るい彗星であったが、帰るはずの1922年には見つからなかった。それから延々60年間にわたって行方不明になっていたのである。
しかし計算者はその足取りを確実に追っていた。6年ごとの回帰するはずの年には必ず捜索予報が発表されていた。
1950年代の終わりには、日本天文研究会の神田茂氏が独自に摂動計算して予報を私のところに送ってきたことがあった。その頃は15cmによる眼視観測であった。予報は11等級で結構明るかった。しかし
杳として行方は知れなかった。
芸西ではその後、Seki観測所(372)が活動していた。1974年7月には22cmでフィンレイ彗星を検出して気を良くしていたのである。無論1977年に接近して来るはずのテイラー彗星も目標の中にあって盛んに捜索していた。国立では、その頃木曽観測所が健在で、口径105cm、F3のシュミットカメラが活躍していたのである。
当時の望遠鏡は小島信久氏の研磨した40cm鏡で、鏡筒はオール自作であった。感材はコダックや日本の富士フイルムが開発した、特に微光の天体に強いガラス乾板を使用していた。感度は低かったが相反不軌に強かった。
さて1977年の1月15日である。捜索予報に沿って観測していたフイルムからΔTがほぼマイナス1日の予報の線上に、
朦朧と光る彗星状天体を見つけた。「これは60年ぶりに姿を見せたテイラー彗星かもしれない」と思って、位置を測定した。
1977 UT α (2000.0) δ m1
Jan.14.62257 6h32m14.53s +21o08'28.8" 15.5 372
大発見かもしれない.....
顕微鏡をのぞく手が震えた。
そしてスミソニアンに報告しようと思って更に入念に調査していたところ、芸西の観測から数日遅れてパロマー山の発見が報道されたのである。僅かなところで遅れをとった残念の巻であった。パロマー山ではコワル氏が、更に前年の12月に遡って、122cmのシュミットカメラで撮った古い写真板を調査して同彗星のイメージを見つけ出したのである。
下の写真は、懐かしい当時の小島鏡での作品である。この鏡は、のち60cm反射望遠鏡が完成するまでに5個の周期彗星を検出するのである。