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連載 関勉の星空ノンフィクション劇場

 

- ホウキ星と50年 -

 

第52幕 クロムメリン彗星と山崎正光氏(1)

 

 2016年の12月。高知県の佐川町でクロムメリン彗星を発見した山崎正光氏を顕彰する講演会がひらかれた。
 クロムメリン彗星とは周期28年の、昔風に言えば天王星属の周期彗星である。私が初めて関与した彗星でもあり、生涯忘れることが出来ない思い出が在る。
 今から遠く1928年に、当時岩手県の水沢緯度観測所に天文技師として務めていた山崎正光氏は、自作の奇妙な望遠鏡を使って彗星を発見した。
 当時は日本最初の事で大きな話題となった。しかし大英天文協会のクロムメリン博士が軌道を調べたところ、遠く1818年と1873年に出現した古い彗星であることが判明し、山崎氏の名は付かずクロムメリン彗星と呼ばれる事となった。そして次は1956年に回帰することになっていたのである。
 山崎さんは高知県の出身で、水沢を退官後は故郷の佐川町に帰ってお百姓さんをしていた。そんな時、弱冠25歳の私が訪ねて、発見当時の話を詳しく聞いたのである。
 当時私は高知市上町の自宅で天体観測をやっていた。特に15pの反射望遠鏡を使って新彗星の発見に意欲をもやしていたのである。また山崎さんも28年前に水沢で発見した彗星との再会に大きな希望をもって研究を続けていたのであった。
 1956年に入ると大英天文協会から早々と位置予報が発表された。ところがその位置予報には大きな食い違いがあった。我々は山崎さんと共同で軌道計算を行った所、大英天文協会の予報と10度もずれていた。(一体どちらが正しいだろう?)と疑問を抱きながら、秋も深まる1956年の10月、予報位置のしし座を捜索していたのである。
 山崎さんによると、彗星は軌道の関係で木星や土星の顕著な摂動をほとんど受けていないと言う。しかもその周期は計算によると28.0年。という事は28年前に山崎さんが発見した星座とほとんど同じ位置に出現すると言うことになる。
 果たしてその想定は当たっていたであろうか?1956年10月6日午前4時。しし座の中を捜索していた私は、獅子の大鎌の中に怪しい光芒を見たのである。(これは28年前に山崎さんの見た同じ彗星であろうか?)私の胸は大きな期待に高鳴っていたのである。



山崎正光氏とコメットシーカー





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