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連載 関勉の星空ノンフィクション劇場

 

- ホウキ星と50年 -

 

第44幕 ああ追憶のホンダ彗星

 

 毎年冷たい晩秋初冬の頃になると、決まって”ホンダ彗星”のことを思い出す。それだけに1940年代の終戦直後の暗澹とした夜空に輝いた「ホンダ彗星」は強烈な印象だった。爆撃で廃墟となった街にはそれを照らすともし火は無く、暗黒の空に異常に明るく輝く星影のみが未来への希望の明かりだった。その頃、南方から復員してきたばかりの”本田上等兵”は広島県沼隈郡瀬戸村の実家で早くも平和な空にホーキ星の捜索に熱中し成果を挙げたのである。
 時は1947年11月の中旬、自宅の近くの掘っ立て小屋に口径15cmの反射経緯台を据えて観測に励んでいた。鏡は木辺氏の磨いた15cmF6.3の短焦点で、アイピースはケルネル40mm、23xで視界は約1.5度であった。本田さんは微動のない手作りの経緯儀を操って、いつも夜明け前の3時間、太陽の上る方向を中心にして、高度45度から、地平線にかけて南北45度で、水平捜索を行っていた。この姿を目撃した冨田弘一郎さんによると、鏡筒はかなり早く動かしていた、と言う。
 時刻は午前5時過ぎだった。視野がおとめ座付近から更に南のからすにかかろうとしたとき、あらかじめ予定していた「エンケ彗星」が8等ほどの明るさで入ってきた。尾のない中心集光の著しい小さな像であった。しばらくそのイメージに見とれていたが、やがて薄明が近いことを知った本田さんはさらに、からす座の南に視野を進めていった。気温は氷点下となり、観測は極度に困難だった。吐く白い息でアイピースは再三曇った。このとき北の山越えに、「ピヨーッ」という一番列車の汽笛の音がきこえ、さらに「シュウシュウシュ」と山あい力強く走る蒸気機関車の音に「この深夜に作業するのは自分一人ではない、、、」と勇気づけられたという。実際孤独の寂しさと寒さは我慢の限界に達していたのである。
 この時、視野にモーローとした天体が映った!明るさは8等で本田さんは一瞬近くのM68ではないか?と思ったそうである。しかしからすのベータ星のすぐ南にある球状星団はつい先刻通過したはずで、見逃していたのである。本田さんはこのモーローとした8等級でコマが3′ほどの天体を彗星と断定して視野のスケッチを描いたのである。空はすでに薄明が進み、間もなく天体はそれに飲み込まれて消えた。
 以上が戦後発見された「本田彗星」の第一号である。この彗星は間もなく急速に南下して、北半球での観測者は本田さん一人であったと言われている。
 本田さんは翌日倉敷天文台に移動して、ここのカルバー鏡(31cm)で更に詳しく観測した。正式にはC/1947 V1(Honda)として登録されたが、実際の精密な位置観測は南半球で11月28日から行なわれたのである。発見は11月14日の筈である。
 こうして第三者による確認が遅れた理由は今と違って、当時は観測出来る天文台が極めて少なかったことと、発見の電報が簡単に打てなかったことによるものである。当時の中央局はコペンハーゲンにあったはずだが、日本は敗戦国家ゆえに、GHQ(占領軍総司令部)の政治下にあり、外国に電報を打つためにはGHQの許可を取らなくてはならなかったのである。このため時間がかかり、運悪くすると外国に先んじられかねない発見がマスコミの力によって日の目を見たという裏話が残っている。
 すなわち本田氏によって発表された今回の発見が近くの新聞社の知るところとなって、やがてAP電によって世界に報道された。そのニュースを当時アメリカのロイッシュナー天文台に居たカニンガム博士が発見し、世界の天文台に通達された、というエピソードが残っている。今でこそ発見は簡単にそしてスピーディにセンターに送られるが、当時の特殊な政治下では随分と苦労したことが分る。
 この頃一高校生だった私は、そのような事情は知る由も無く、新聞紙上で本田氏の発見を知った。高知市は1945年の大空襲と翌46年の南海大地震で見るも無残な廃墟となっていた。しかしその廃墟を映す星空は筆舌に尽くされぬほど、すざましくも美しかった。本田さんや、その先輩の岡林さんが、どの様な星空の下に観測をしていたのか、それを知る証人が今ここに居るのである。美しいと言うより怖いほどの星空であった。

 岡林・本田彗星が発見された開戦前夜の1940年10月初め、幼少の私はたまたま起きていて2階の雨戸を開けて北の空を見た。時刻は恐らく午前2時〜3時だったと思う。いったん夜になると人口15万の街の空は完全な星の世界に変わり、地上にはただ一つの孤灯すら見えなかった。低いしもた屋の屋根と星空の区別すら出来ない暗黒で、その上に蔽いかぶさる星空は、まるで埃のような星屑で空全体が銀色に煙っていたのである。時折チカッと活動するのは流星か、他には全く変化は無く太古の昔を思わす星空はゆっくりと回転して、やがて神々しい黎明を迎えるのである。その美しい星空はそれから20年、1965年のイケヤ・セキ彗星が出現する頃まで続いたのである。




Copyright (C) 2007 Tsutomu Seki. (関勉)