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連載 関勉の星空ノンフィクション劇場

 

- ホウキ星と50年 -

 

第43幕 天の川にハレー彗星の居た頃(2)

 

 夜空にヘール、ボップ彗星が絢爛と輝いていた1997年の3月、たまたま所用があってハワイに行ったことも忘れられない。ワイキキの浜に出て、黎明のなかのホノルル市外の上に輝いた同彗星も印象深いが、夜行でハワイに飛んでいるとき、進行方向の右側の窓から見る「南十字」は絶景であった。いてやさそり付近の天の川も実に美しく見えた。大気が安定しているので、飛行機は全く揺れず、窓ガラスにカメラを押し付けて、10秒間のバルブ露出を行ったが、星は完全に静止して写っていた。高速で飛ぶ飛行機の中から、星空を写すなんて、凡そ前代未聞のことであろう。しかし星はまるで地上で、三脚を立てて撮ったように綺麗に写っていた。夜明けが近づき、目的のハワイに迫る頃には、今度は左側の窓から、ヘール・ボップ彗星が、悠々と輝いていた筈で実際に見た人も居た。そしてどよめきが起こった。この頃の彗星は一番明るくなったころで一等星で尾は数度あった。あの時客室乗務員に頼んで彗星の良く見える左側の窓に案内してもらったら良かった、と悔やまれる。当時ヘール、ボップ彗星は大きい話題だったので、ハワイへの飛行中には、天文関係の映画を上映したのは見事で、比較の為か、ハレー彗星や、池谷・関彗星の姿も出てきて懐かしかった。池谷・関彗星は近日点を通過してから、一番長い尾を見せていた頃のもので、ヨハネスブルグ市街の無数の星のように輝く夜景の上を跨ぐ長大な彗星の姿であった。1965年9月19日、この日は私の彗星との奇跡的な会合であり、また人生での大きな出会いでもあった。遠い日の池谷・関彗星の懐かしい思い出がしばらく私の脳裡から去らなかった。
 さてハレー彗星の事件でなんと言っても大きかったイベントは1986年3月、フランス航空の特別仕立ての飛行機「ハレー彗星号」で、ハレー彗星を見にバリに行ったことである。バリ島には6日間滞在したが、このとき私は「南十字」を初めて見た。ホテルでは毎夜の如くに華やかなショーをやっていたが、初日の夜、そっとホテルを抜け出し、庭続きのビーチに出た。海は暗くかすかな波の音を立てていたが、問題の十字はやしの木の葉の間に懸かっていた。見事だった。思えば「南十字」を初めて知ったのは小学生の頃、山中峯太郎の冒険小説「南十字星の下で」という小説であった。その頃から幾十年も憧れ慕っていた星座とたった今対面したのである。
 このころのハレー彗星は、というと明け方の下弦の月のある空で、正直にいって大変に見にくい姿であった。彗星は小さいながらも徐徐に南天の天の川の中を南十字に向かって進行していった。南十字と共に輝くハレー彗星の姿は過去にも見られたであろうか、とふと思った。
 ホテルでは毎夜の如く華やかに歌や踊りのショーを繰り広げていたが、ギターろ首に吊るした三人の演歌歌手?がやってきて、「日本人のために日本の歌をうたいます」と言って。弘田竜太郎の「浜千鳥」を合唱し始めた。なんという因縁であろう、弘田は高知県安芸市出身の作曲家で、「浜千鳥」の歌詞は天文台に近い海岸の絶景にその歌詞を刻んだ碑が建っているのである。

 青い月夜の浜辺には
  親をさがして泣く鳥が
   波のくにから生まれでる
    ぬれた翼の銀のいろ

 天文台から満月の夜には南にみえる琴ケ浜の海が黄金色に輝きまるで夢のごとき世界となる。千鳥の鳴き声はこの黄金色の海の彼方から聞こえて来るのである。
 さてバリに帰って、夜毎ホテルの庭では丁度真上に輝くシリウスをみた。その巨光はちょっとたとえようがなく、庭の空にグリーンの明るい電球を吊るしたあるかと思う位であった。当然シリウスから南に40度ほど下ったカノープスも蒼く大きい光であった。バリ島では半分以上が観光で、原住民のお祭りや手芸品を見たり買ったり、そして有名な神殿に案内されたりしたが、山では物凄いスコールに遭ったこと、空港に近い山岳で雄大な火山による湖を見たことなどが印象に残った。
 帰りの飛行機も同じ貸切の「ハレー彗星号」であったため平常には考えられない乗客へのサービスがあった。機長はなんと操縦室に私達を案内してくれたのである。機はスマトラ島の果てしないジャングルの上を通過し北の地平線が球形にみえる南太平洋の海を日本に向かっていた。眼下にはエメラルドグリーンの海が拡がり次々に現れては消え去る名も無い小さい孤島が印象的であった。それは珊瑚礁の島であろう、かって大戦中戦場となった地区である。私の小学生の頃の近所の先輩が終戦間際に特攻機に乗り込んで出撃した。彼は乙種飛行予科練習生として入隊し、ろくな訓練も受けずに南に飛び立ったのである。そして被弾し南の孤島に不時着して、間もなくの戦後奇跡的に救助された話を聞いたが、次々に現れそして眼界から去っていく無人島を見ているとき、いまは遠き出来事が、つい昨日の如くに思い出されるのであった。
 しかし今は平和な時代である。ハレー彗星は地上にさまざまなロマンを残してさった。相変わらず延々として続く果てしなき南太平洋を眺めながら、わたしはふとこのような歌を口ずさんでいた。

 ハレー彗星賛歌    関 勉作詞 鈴木健夫作曲

(1) ああ夜空に輝くハレー彗星よ
   遠い過去の世界から
   未来に向かって飛び続ける
   ハレー彗星よ
   人類(ひと)の歴史と共に
   二千年の旅を続ける
   たくましきハレー彗星よ

(2) ああ天使のごときハレー彗星よ
    かつての不吉の星も
    いまは平和そシンボルとして
    夜空に輝く
    この世に文化をもたらし
    宇宙への夢をひろげる
    頼もしきハレー彗星よ

 ハレー彗星賛歌は1985年、伊東市で初演された。ハレー彗星が去った今も鈴木さんはこの曲を歌い続けている。


ハレー彗星賛歌を歌う鈴木氏と筆者(1985年伊東市)



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