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連載 関勉の星空ノンフィクション劇場

 

- ホウキ星と50年 -

 

第39幕 池谷・関彗星奇談(3)

 

 あの日(イケヤ・セキ彗星発見)から41年も発った今、私は時々思う事がある。1965年10月25日、近日点を通過した彗星が明け方の空に、その長い尾を見せ始めた頃、ハバナ市に住む作曲家のホセ・M・カレヨ氏が即興的に作曲したと言う「Ikeya-Seki」と言う曲のことである。ピアノを主体としたジャズ的なこの曲をいつかは演奏してみたい、と思いながら、遂にそのまま40年も経ってしまったのである。手書きの楽譜は2枚で、私の手許には表紙を含む最初の1枚が残っている。2枚目は、いま探しているが、目下行方不明中である。キューバのジャズ演奏家が、どのような目で、そして発想でこの池谷・関彗星を見て作曲したのか、大いに興味があったが、ただ虚しくおたまじゃくしを目で追うだけで、今まで1回も演奏されたことが無かったのである、発見から1ヶ月後の1965年10月21日、近日点を通ってから、彗星は極度に明るくなりながら南下し、南半球の空で異彩を放ったのである。カトマンズでは、国王も参加しての厄除け際を催した(NHK TVによる)ほどだから、恐ろしいほどに良く見えたに違いないと思う。そしてこの曲を作曲したカレヨさんは、どっかでこの自作曲を演奏した事があるだろうか?もしかすると、おたまじゃくしだけで今日まで眠っていたのではないだろうか?
 この曲の本邦初演奏(世界初?)に挑んだのが、前に述べた大庭氏他の2人であった。もっとも曲は前半の約2分間であるが、静かな天体のイメージとは違って非常に活発で活動的な流れである。星空を見て瞑想に耽るような音楽とは全く異なり、どちらかと言うと突然の大彗星の出現に、人々が驚き或いは恐れて騒いでいると言ったイメージを連想するのである。そしてこの躍動的な旋律は気侭に夜空を舞う彗星の姿とも受け取れる。パソコンで拾い挙げられたこの音楽はCDとなって、今私の講演会の時聴衆に聞かしている。いままで高知市と奥州市水沢区の2箇所で演奏された。


Ikeya-Sekiの楽譜

 さてクロイツ属のこの彗星は1965年10月21日(日本時間の同日13時ごろ)太陽に0.007天文単位と迫った。太陽表面から36万kmの距離であった。このとき絶大な太陽熱と重力を受けた彗星は、その尾が太陽に巻きつくような格好で曲がった。コロナの100万度と言う高熱のガスは彗星を瞬時に蒸発ささんと襲いかかった。世界中の誰しもが氷を主成分とする彗星の爆発蒸発を疑わなかったに違いない。事実彗星は激しく蒸発しながら受けた熱を発散しょうと頑張ったのである。こうして太陽のあちら側に現れた姿は無残に焼け爛れた姿とはうって変わって、この世のものとは思われぬ美麗で雄大な姿だったのである。今もコロナの中に突入して自爆していく彗星は多い。なぜイケヤ・セキ彗星が助かったのか? これは永遠の謎である。
 この日ハワイではイケヤ・セキ彗星がバラバラとなって消滅した、と発表した。ドイツでは逆に近日点通過後も無事なる姿を見届けた、と発表した。その頃岐阜県の乗倉コロナ観測所では、コロナグラフの隅に突然現れたイケヤ・セキ彗星が太陽に突入し向こう側に消えるまで観測して沢山の写真を撮った。


コロナに突入中の池谷・関彗星
1965年10月21日(国立天文台提供)

 ここに使用した写真は近日点通過寸前の午後1時15分頃の最後の1枚である。「池式投影ボックス」は池氏がこのコロナグラフからヒントを得て製作した機械であったが、成果があがらなっかたのは、時刻が遅すぎたことと、高山と平地との差が出たものであったろう。
 この事件も遠い日となったある日、池幸一さんと会った。そして昔話がはずんだ。いつも会う度に残念だった「池式投影ボックス」の話が出るのだが、まるで西洋の棺のようなボックスのなかに入って3時間も頑張った武勇伝が花をさかせる。そのボックスが商売がら冷蔵庫を入れて送って来た木の箱であったことを知った。そしてもっと重大な事は、その日実は池さんはイケヤ・セキ彗星を見ていたのである。即ち彗星が近日点を通過する7時間前の午前6時30分、須崎市のバンダの森に上がった池さんは常用の12.5cmコメット・シーカーで日の出時の池谷・関彗星を見たのである。それは太陽の直径の2倍くらいの空に短い尾を引き、核は黄色くランランと輝いていた、と言う。その後の私の家での本番を大事にして、そのニュースは伏せてあったと言う。かくしてイケヤ・セキ彗星は去った。池さんも故郷を離れて遠くに去った。
 私は時々この彗星が「関谷・池彗星」と言って間違えられる(NHKの番組)そして銀行ではわたしを「池さん」と呼んだ。これを見てもいかに池幸一さんが当時活躍し、話題にのぼったかが伺えるのである。

 1つの彗星の発見が世界の人々と知り合い、そして多くの友情を生んだ。またいつの日にか大彗星が現れ世に明るい話題を提供してくれる事を祈るのである。



Copyright (C) 2006 Tsutomu Seki. (関勉)