トップページへ

連載 関勉の星空ノンフィクション劇場

 

- ホウキ星と50年 -

 

第37幕 池谷・関彗星奇談(1)

 

 これはあまり知られていない不思議なお話です。
 今から遠く1965年10月21日、世界中を震撼さすような事件が、宇宙に起りました。
 1965年9月18日(世界時)、かの「池谷・関彗星」が発見されたのですが、発見の第1報がアメリカのスミソニアンにある中央局から世界中の天文の施設に電報で知らされたとき、これを受け取ったフランスのリゴレ博士はたった1回の発見位置を見ただけで、この彗星が珍しいクロイツ属のものであって、この彗星が近日点を通るのは約1ヵ月後の10月21日であるとの電報を中央局に返してきたのです。そしてスミソニアンの発表したニュースは次のような驚くべきもので、このAP-共同のニュースは多くの人をおどろかしたのです。

 「今世紀最大か、池谷・関彗星長く明るい尾」

 その頃高知市上町の自宅で新聞を見ていた私には、これがどうした事か全く分かりませんでした。なぜなら彗星は発見者によってたった1回観測されただけで、明るさも8〜9等と暗く到底先を予測する事はできません。楕円軌道や放物線軌道の彗星は太陽をその焦点として運行し、少なくとも3回の適当に間隔をあけた観測がない限りその軌道は計算することは出来ず、まして先を予測することも不可能なのです。
 それではリゴレ博士の予測は一体何だったのでしょう。いまもってナゾです。まさか念力でもありますまい。しかもまさにそれはピシャリと当たっていたのです。10月21日の日本での良く晴れた九天にはまるで太陽にまきつく大蛇のように彗星は、コロナのなかに輝き、正しく近日点を通過する運びとなったのです。この予言が当たったのは、”クロイツ属”という極めて特殊な彗星であったことが挙げられると思います。
 その理屈はさて置き、この日太陽のコロナの中にあった彗星を観測するのに、色々な手段が講じられました。太陽を直接見るのは極めて危険です。一般的には氷で出来ていると言われる彗星が如何に巨大と言えども摂氏100万度もあろうと言われている太陽コロナの中を数時間に渉ってくぐり抜けるわけですから、それは瞬時に爆発消滅するだろう、というのが大方の意見でした。現にその7〜8時間ほど前にはハワイで観測され、しかもバラバラになって消滅するのが、目撃された、との誤報?が流れたのでした。然し、その4時間ほど後(近日点を通る6時間ほどの前)コメットハンターの池幸一(いけ こういち)氏は、大変な危険を犯して須崎市のバンダの森の高い頂上から、池谷・関彗星が健在なのを確かめたのです。
 さて太陽大接近のその日(10月21日)の正午前、池氏は奇妙な観測装置を持って私の家までやってきました。称して「池式投影ボックス」というものでした。商売柄、巨大な冷蔵庫を入れてあった木の箱にダンボールを使って拵えた道具で、暗室を作って太陽に接近してくる彗星を投影法でキャッチしようというものです。当然12cmの屈折式のテレスコープが使われましたが、具合の悪いことに、この日の朝土佐市の自宅からまさに出発しょうとしている時、A新聞社の記者と同系列のテレビカメラマンが押しかけてきて、その場であたかも観測しているように組み立てさせて写真を撮ったそうです。池さん考案の観測装置を他社より早く取材して報道しようとかかったのです。そのため池氏の到着が遅れ、高知市上町の関観測所で観測を始めた頃には、彗星は太陽に接近し過ぎて、太陽のあちら側に隠れようとしていた頃で、観測は見事に失敗し、折角の新兵器も威力を発揮しないで終ってしまいました。
 さてそのあくる日のニュースです。”池式投影ボックス”発明の記事がさぞかし大袈裟に紙面に出たかと思いしや、なるほど同じものがA新聞の3面を見事に飾っています。然しよく見るとどっかが少し違っており池さんの名が全く出ていないのです。次ぎの瞬間大きな笑いが噴出してきました。なんとその奇妙な格好をした観測機は京都大学の上田博士がペルーの大学に贈った手作りの日食用の観測機械だったのです。
「あれほど人の手を煩わして取材に協力したのに、全く役に立っていないとはなんと言うことぞ、、、、。そのために大事な観測もおじゃんになったのだ!」と大いに憤慨した池さんがA新聞の大阪本社に聞き合せたところ、「京都と高知から全く同じような物が来たので、2つとも出す訳には行かず残念ながら高知の記事をボツにした」とのことでした。こうして彗星の観測は見事に失敗の巻きでしたが、池谷・関彗星の近日点通過前後の数日間の池氏は、正に東奔西走の見事な活躍の舞台でした。
 かくてリゴレ博士の予言通り彗星が無事近日点を通過して、再び明けの空に雄大な姿を現し始めた10月下旬、又しても奇妙な事件が起こったのです。


池式投影ボックスに集まる人々
1965年10月21日正午



Copyright (C) 2006 Tsutomu Seki. (関勉)