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2000年12月の日記

● 12月20日
 須賀川市の佐藤裕久さんからメールが届き、イギリスの新星と彗星の発見者であるE・Dオルコックさんが亡くなられたことを知りました。大昔に1度だけ文通したことがあり、1961年の私の発見の時
(Comet Seki 1961f)彼の視野が5°以内に迫っていたことなど知りました。88才だったそうで先にお亡くなりになった日本の本田実氏と同じ年令であられたことを知りました。亘星が落ちたわけですがオルコックさんや本田さんの場合は逆にその大業績がいつまでも星として宇宙に輝いている訳で、努力した人は本当に幸せだと思います。心からご冥福をお祈りします。

● 12月19日
 高知県幡多郡窪川町(社会教育課)の主宰する同町の婦人学級で星のお話をするため愛用のテレスコープ(9cm19X)を持って赴きました。
 窪川町の近くを流れる四万十川の支流を約15キロも北の山中に入ると有名な”松葉川温泉”があります。そのホテルの庭の近くの農道で冬の星空を見る会を催しました。ここは四国西部の大きい町の無い非常に空の暗い場所で狭い山峡ですが、完全に遠くからの光が遮られて大暗黒です。山の端と星空との境さえ分かりにくいくらいで、近年まれに見るすばらしい星空でした。足下が暗くて歩くのさえ危険で、先の8月に見たマウナケアの山頂の暗さを思い出しました。
 明るい恒星たちと惑星の異様な輝きの差。大昔の人々はこうして物凄い星空を眺め、占ったり星座を作ったり、そして更に宇宙観を逞しくして行ったかな、と思いました。
 ”イケヤ・セキ彗星”を発見した小さな筒を覗いた中年の婦人はきらびやかなスバルを「クリスマスツリーの電光の様!」と大声で叫びました。

● 12月15日
 ホームページの25,000目のヒットは大津市の外村一さんでした。
 今から15年ほど昔、南半球のニューカレドニアで会った人です。その頃、ちょうどハレー彗星が接近中で私は大阪のウェルカムハレークラブの人たちと共にニューカレドニアに出向いていたのでした。たしか島に行って5日目だったと思います。首都ヌーメアの町を歩いているとテレスコープの3脚をかついで歩いてくる日本人に声をかけられたのです。「関さんではありませんか!」と。外村さんは中学生の頃、私に手紙を下さったそうで、そのいきさつは拙著「ホウキ星が呼んでいる」に書いてあります。その頃は”関・ラインズ彗星”が発見された頃で同彗星の経路図を外村さんに送りました。あれからもう40年近くが経ちましたが中学生の天文ファンだった外村さんは立派に成長されて今も天文に情熱を捧げています。
 ”天文ファンからのどんな小さな手紙にも応対する”、これが私の精神で、その人にとってこれは大切なことだと思っています。
 外村さんにはリニア彗星(1999S4)の消滅前の写真を贈りました。

● 12月7日
 数年前に講演会に行った岐阜県藤橋天文台の松本幸久さんからお便りがありました。氏も熱心なコメットハンターの1人ですが、昔「未知の星を求めて」を読んだ時の感想を岐阜県が募集した「良書感想文コンクール」に応募し見事優秀賞を受賞され、11月12日付の中日新聞にその全文が発表されました。大昔彗星発見の体験をまとめた小さな拙書が今も人の心の中に生きているかとうれしくなりました。
 今は学園でも何となく授業に集中できずその荒廃が噂されるなか、天文学を通じて青少年の健全な育成に貢献できるとしたら、私にとっても望外の幸せです。

● 12月6日
 神戸市在住の豆田勝彦氏から30年振りのお便りがありました。氏も1965年のイケヤ・セキ彗星が発見された時、熱心にホウキ星を探していた人で、今は流星観測のベテランとして活躍しておられます。彼が少年の頃出逢った星の本、それは1966年発行の「未知の星を求めて」でした。今はこの本は幻の本として入手は難しいのですが、あれから34年も経って古本屋で1冊発見し、感動したと言います。今は何回か衣を替えて出版されていますが、初版の文庫本は大変入手が困難なのです。あの本を読んで星の観測を始めた人々が今は50才60才台となって時々なつかしいお便りを下さるのです。各地に講演会に行った時、この本を持ったオールドファンが会場に訪ねて来て下さり昔話の花が咲くことが良くあります。豆田氏も私にとってそうした大切なファンのひとりなのです。
 福井市に住む松本敏一さんもそうした私のファンの1人ですが、先日のお便りの中に「私が40年間彗星の捜索を続けてこれたのも1961年のセキ彗星の発見があったからなのです。」とありました。全くありがたいお言葉です。
 ご両人のこれからのますますの御活躍をお祈りします。

● 12月5日
 昨夜から今朝にかけてまれに見る好天に恵まれました。今朝は冬の銀河も良く見え、夏の煙の様な光芒に対して北から南に銀の砂利を撒いた様に冬独特のすてきな天の川でした。朝方のおとめ座付近にまだ黄道光が幽かに残っています。約20分間東天を捜索。午前5時、東北のヘルクレス座の中にM13が驚くほどの明るさで昇ってきました。
 今朝のアサヒを見ていたら11月29日に北海道でオーロラが見えた記事が出ていました。私が芸西で11月30日〜12月1日に目撃した全天の青白い光芒も一種のオーロラであったという確信を持っています。もっとも中緯度で見られるオーロラは薄赤いことが特色ですが、過去四国地方では明治時代に北山で紅気が観察されたことがあり、今回私が見たものは著しい夜光現象(オーロラの前兆)と思われます。ただし夜空の暗い場所でないと空全体の微妙な明るさの変化は掴みにくく、夜光現象の激しい夜は冬の銀河が見えなくなります。

● 12月1日
 冬の始まりで芸西の空は暗いはずですが12月2日の早暁空が異常に明るく冬の銀河がかすかです。光害が今夜に限って特に著しいはずはないし、どうやら夜光(一種のオーロラ)現象の様です。星空全体が神秘的なブルーに輝いています。今は太陽の活動期ですが1956年の時にも全く同じ様な現象が見られました(「未知の星を求めて」の本の中に)。空が街明かりですと気付きませんが、これは明らかに太陽活動による著しい光現象です。”北の四国山脈の上にオーロラが!!”そんな夢の様なことを考えながら徹夜で観測に親しみました。



Copyright (C) 2000 Tsutomu Seki. (関勉)