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連載 関勉の星空ノンフィクション劇場

− 星空の宴 −

連載「星空の宴」を始めるにあたって
                                   関   勉

 この物語は二〇〇四年一月一日、高知市上町一丁目の「竜馬郵便局」発行のチラシ「りょうま」に第一回の連載を始めたものです。
「竜馬郵便局」はもともと「上町郵便局」として一九五〇年には偶然竜馬の生まれた家の隣に開局されていました。私も高校生のころから度々足を運んでいたから良く覚えています。そのころ二十歳代の若き女子の職員が四十年近くも経って、今の竜馬局に臨時で勤めていたこともありました。竜馬局はその後、電車通り(竜馬の生家のあった)から一つ南側の旧、水道町に移って暫く営業し、そして近年今の旧、通町筋に移転したものです。高知市は元土佐二四万石の城下町ですから「通町」とか「奉行人町」とか「鷹匠町」とか、あるいは「鉄砲町」とかいった昔ながらの懐かしい町名が残っていました。しかし三十年ほど前、由緒あるこうした町名も市の一方的な政策によって消され「上町」という広い区域に統合されました。今でもこうした高知の歴史に繋がる町名を懐かしがり惜しむ人が多いようです。
 実はこの連載は今回が初めてではありません。ヘール・ボップ彗星の見えていた七年ほど昔二十回ほど連載したことがあります。今回も伝統的な代代の女性局長の要請で再びこの連載を始めたものです。局員は女の方が殆どですが、三原幸雄さんと言う男性(総務主任)が一人おられ、主にこの連載のお世話をして下さいました。
 物語は「竜馬局」ですから坂本竜馬のことから書き始めました。そして大先輩からの激励のお手紙や、戦時中大陸へ去った恩師からの便り等、私の人生に光を与えてくれた手紙、人の心と心をつなぐ手紙の重要性についても触れました。物語はノンフィクションですから当然事実に基づいた出来事です。特に天文現象は曲げられません。しかしストーリーの中で万一にも現実との矛盾を感じられたら、そこは文を面白く読ませるための小説と御考えください。
 さて 第一回は竜馬が遭難した京都の四条大橋の近く、近江屋を私が訪れたところから始まります。元醤油屋の昼でも薄暗い土間に立った時、ふと二階からの竜馬の絶叫を聞いたのです。

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