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投稿者 スレッド
中村輝男
投稿日時: 2005-11-23 22:11
 
登録日: 2005-7-5
居住地:
投稿: 24
なつかしい物
先日、物置の中を整理していたら、古いガラス材・研磨剤・松脂・アスファルト
などの反射鏡作成用品がたくさん出てきました。
当時は、価格的に青板ガラスしか入手できなかったのですが、滋賀県の反射鏡研
磨の達人・木辺先生の著書を何度も読んでは10センチ鏡を磨きました。フーコ
ーテストで鏡面にシワが見られたので直接、木辺先生にお手紙で質問したところ
親身なご回答をいただき感動しました。(木辺先生は関先生の著書「未知の星を
求めて」に紹介されていますね)。私自身、大学を出るまでに20面ほど磨きま
したが、どうも、不器用なのか星像の満足できる鏡が出来ませんでした。青春の
遺物というか、古物が長いあいだ物置に眠っていたわけです。現在、使っている
20センチ反射は池谷鏡ですし、12センチ双眼はニコン、15センチ屈折は
アメリカからの輸入レンズです。

物置の整理をしながら、小学6年生で自作の10センチ反射24倍で勉強そっち
のけで彗星を捜し続けた日々を思い出しました。拙い字で書かれた捜索日誌。
関先生からの激励のお手紙。中学に入ると、帰宅後、夕方まで勉強して7時に就
寝、午前2時に起きて彗星捜索を朝まで行うのが習慣でした。日本天文同好会、
星の広場、東亜天文学会、日本天文学会などに入ったりもしました。
自分を褒めてやりたいほど頑張りました。

彗星発見は、つくづく、運だと思いますね。
彗星捜索を始めて5時間で栄誉を手にした16歳のホイテッカー君。老齢になって
周期彗星を見つけた羽根田さん。ブラッドフィールド(18個発見)は定年すぎか
ら始めた。池谷氏は、1967年以後30年間発見に恵まれなかった。様々・・・。
多胡・佐藤・小坂彗星の佐藤さんと小坂さん、多胡・本田・山本彗星の山本さん、
本田彗星の関係された伊藤さんや鈴木・三枝・森彗星の鈴木さん、鳥羽彗星の鳥羽
さん、谷中彗星の谷中さん、他の多数の発見者、皆さんも彗星捜索を続けておられ
ると思います。やはり、コンスタントに発見し続けるのは大変なことなんですね。
小惑星発見プログラムで暗い彗星を掬い取られてしまうのもありますが・・・。

高校1年の時にオオカミ座のメシエ天体の近傍で見た9等の彗星状天体。さらには
谷中第一彗星、高見澤第一彗星などを天候悪化もしくは星雲と誤認して見逃してし
まいました。今となってみると、運が悪かったとしか考えられません。
病気で空を見なかった日、学校の定期テストの勉強で捜索をしなかった日、修学旅行
で家を離れた日、祝い事や法事で親戚に出かけた日、等など、不思議とこういう日
に新彗星が発見されました。運が悪いのです。

年金生活に入ってから発見運が向いてくるよう神様にお願いするほかありません。
まあ、池谷薫さんのように、気長に続けたいと思います。
ゲスト
投稿日時: 2005-11-26 7:36
Re: なつかしい物
 自分が昔使った器具を見ると、そのころがんばったことが思い出されるというのは
よくわかります。私には「因縁のレンズ」というのがあります。
 それは、1972年の「世紀のジャコビニ流星雨」を撮影するために観測地まで
リヤカーに積んで持って行った50mmF1.4の一眼用レンズです。この年の
ジャコビニ流星雨は不発でしたので、空に向け続けたものの流星は1つも撮影できま
せんでした。
 その後、天体写真はあまりやらなくなったし、新しい標準ズームレンズも手に
入れたのでその50mmはほとんど使うことはなくなったのですが、1998年にI.I付
単眼鏡とビデオを買ってこれらを光学的に接続する方法を考えている時に、
ふと気がついてそのレンズを引っ張り出して来て再利用することにしました。そして、
それで1998年にジャコビニ流星群の撮影を試みましたところ、思わぬ大出現があり
狭い写野ながら3個の群流星を撮影することができました。ふわ〜と雪の破片の
ようにゆっくり落ちる夢にまで見たジャコビニ流星の姿でした。これが、このレンズに
とって26年ぶりのリベンジであったことには少したってから気づきました。また、
同じビデオシステムは2001年のしし座流星雨でも活躍し、流星のクラスター現象を
撮影することに成功しました。

 彗星捜索は運なのですか。私は、捜索をやったことがないのでよくわかりませんが、
やはりそうだろうという気がします。しかし、長年の経験で「運を自分のほうに
引き寄せる」こともできるのではないでしょうか。経験の技というのは、目に
見えないこれまでの努力が、現在も目に見えないところで知らず知らずのうちに
働いているものだと思います。


中村輝男
投稿日時: 2005-11-27 0:01
 
登録日: 2005-7-5
居住地:
投稿: 24
Re: なつかしい物
上原様、こんばんは。

>長年の経験で「運を自分のほうに引き寄せる」こともできるのではないでしょうか。
 経験の技というのは、目に見えないこれまでの努力が、現在も目に見えないところ
 で知らず知らずのうちに働いているものだと思います。

もちろん、おっしゃるとおりです。
彗星捜索の初心者より熟練者の方が、運を引き寄せる力は上です。
例えば、関先生の第一彗星は夜明け前の薄明の中、東天の地平ぎりぎりに発見された
わけですが、初心者であったなら、どんどん星が見えなくなる状況下、周辺星のスケッ
チが不充分になり位置確認ができずに見逃してしまったかも知れません。その辺は、
ベテランであったゆえ、素早い対応ができ、運を引き寄せられたのだと思います。

(偶然に運をつかんだ例)
昨年、上原様には軌道要素から過去の彗星の位置計算をお願いしました。
それは、既知の彗星の近傍に新彗星が通りかかり、偶然に運をつかんだ観測者のことで
した。その節は、ご多忙の中、すみませんでした。

バリー・クレイトン彗星は、天文観測会の最中に琴座環状星雲を視野に入れようとして
偶然に発見されたものです。

ウェスト・コホーテク・池村彗星は、池村氏がコホーテク彗星を撮影しようとして
間違った場所を撮影したのが幸い、偶然に発見されたものです。

16歳のマーク・ホイテッカー君は彗星捜索の目ならしとして、M5を視野に入れよう
として新彗星を見つけました。

東京天文台の下保氏は、変光星を見ようとして赤道儀を操作していたところ、立派な
尾を引いた明るい彗星を発見した。

このように、偶然に運を自分のものにした例は、この他にもたくさんあります。

(発見のバラツキ)
それと、短期間に複数の彗星を発見し、その後、長期間、発見から遠ざかるのが、彗星捜索者
の常です。数年間あるいは数十年間のブランクができてしまう。本当に不思議です。明るい彗
星が出現するのは平均的ではなくバラツキがありますが、それを考慮しても、その不思議さを
払拭できるものではありません。それは、日本のみならず、世界の彗星捜索者に言えることで
す。捜索を続けておられるのに・・・・・。運のいたずらとしか言えません。

古今東西、多くの著名人は、運の大切さを述べています。物事を成就するのに、努力と運の
比率を分野により人により述べています。私は、彗星捜索に関して、運は50%以上を占め
ると思っています。超人的な努力をして強運な人の代表は、バーナード、ライド、ブラッド
フィールド、本田氏、・・・、ではないでしょうか。
私のように、極めて運の比率の低い者は、努力しても1個発見できるかできないか、でしょう。

話は変わりますが、父(93歳)は戦争中、軍曹として中国に派遣され部下や同僚の死に様
を数限りなく見てきたそうです。その悲惨な戦いの中で見たものは、人間の運の強弱だった
そうです。運の弱い兵士は、派遣着任して短期間のうちに死ぬ。運の強い兵士は、どんな
危険があっても生き延びる。人知の及ばぬ冷酷なものを悟ったそうです。

だから、部下と話していて、こいつは近いうちに死ぬ、とか、こいつは危険な偵察も任せら
れる強運のやつ、だとか、わかったそうです。事実、その通りになったそうです。

またまた、天文から外れた話になりました。脱線癖があります、すみません。






中村輝男
投稿日時: 2005-12-3 19:30
 
登録日: 2005-7-5
居住地:
投稿: 24
Re: なつかしい物
今日の朝日新聞の朝刊を読んでいると「ニッポン人物記」コーナーに
彗星と新星捜しのロマンに関係する人達として、
関勉・池谷薫・本田実(故人)・板垣公一・中野圭一・中野繁(敬称略)
などの方々が紹介されていました。文面と掲載写真から推して、関先生
と板垣氏と中野圭一氏を取材されたのでしょうか。

彗星捜しと新星捜しと天文計算者と星図作成者を紙面の字数制限を考慮
しながら情報を押し込んだ感があり、あっさりしすぎた文章です。

それと、取材記者や編集者が天文に精通していないのか、多数のコメッ
トハンターや新星捜索家の存在に触れていなかったのも残念です。

関先生が村山定男氏の天文講演を聞かれて彗星捜しを志したということ
が書かれており、これは初耳でした。

話は変わりますが、池谷さんが第一彗星を発見された直後にNHKの科
学部が池谷さんを主人公にした教育映画を作りました。池谷少年が反射
鏡を研磨して手製の望遠鏡を作り彗星を発見する内容ですが、余りにも、
いい加減な映画作りなので小学六年であった私は大笑いしてしまいました。
反射鏡の研磨を円形の砥石で行い、鏡面テストは工業試験場に行って球
面測定器でやってもらい、新彗星の発見時に視野の中を彗星がみるみる
間に動いていくという内容でした。

科学の発達は大変なスピードですが、マスコミの科学担当者は日頃から
天文ばかりでなく全ての分野に興味を持って幅広く読書し、責任ある情
報発信を心がけていただきたいものです。
中村輝男
投稿日時: 2005-12-3 20:12
 
登録日: 2005-7-5
居住地:
投稿: 24
Re: なつかしい物
中野圭一氏のお名前を間違えました。正しくは、中野主一氏です。
お詫び申し上げます。
ゲスト
投稿日時: 2005-12-4 17:07
Re: なつかしい物
中村様のご紹介の新聞記事については私も見ました。
そこにもありましたように、彗星捜索といえば星図が大切ということになりますが、
私は、昨日、星図に載っていない星を見つけておおいに驚きました。

 新星かと思って別の星図で確認しましたが、星図の誤りでした。その星図は、
S社発行の比較的最近のもので、7.2等までの恒星を掲載しているということで、
8等星のインデックスまでついていますが、うさぎ座のHD34045が6.22等である
にも関わらず(HIP星表によるとHIP24394、6.3等)載っていません。

 ちなみに、同じS社がかなり以前に発行した別の星図では、2重星のへび座
θ1〜2星が、個別に分離された2星として記載されているという誤りがあり、
これにも実際の星空で惑わされました。その星図では1度近く離れているように
描かれていますが、実際には20"くらいしか離れていないので、双眼鏡や
低倍率の望遠鏡でも、よく見ないと1つの星にしか見えないでしょう。

(ちなみに上の星図2つは、中野繁氏の星図ではありませんので念のため)

 星図をつくる方にしてみれば、完璧な星図をつくることはなかなか困難な仕事だ
と思います。有名な星表であっても、なぜこのような明るい星が載っていないのか、
という漏れもあるようです。また、有名なBD星表には現在存在しない星がいくつか
載っているということです(新星だった可能性もあります)。さらに星図はそれを
プロットするですから、星表間で矛盾があったり、接近して重なる星が出てきたり、
まあいろいろとたいへんなのでしょう。使う方も完全だと思って使ってはいけない、
ということでしょう。最近は、パソコン画面で複数の星表を切り替えて、縮尺も
自在にプロットできるようになりましたので、多くの問題は解決したと思います。

 彗星捜索をされている方は、やはり星図の誤りをたくさん発見されているの
でしょうか。私が上に挙げたような誤りは、おそらくは一目で見つけられるの
でしょうね。
中村輝男
投稿日時: 2005-12-4 23:29
 
登録日: 2005-7-5
居住地:
投稿: 24
Re: なつかしい物
上原様、こんばんは。

ご指摘の星図の誤りの件ですが、彗星捜索を継続的にされておられる方ならば
必ずや、いくつかの星図ミスに気づいておられると思います。それらを自分だ
けの発見材料として星図に記入されているのではと推察します。

ただし、彗星捜しは、まずはモウロウとした天体を夜空の無数の星々から見つ
ける作業で、その後に星雲や星団か重星かゴーストか碍子か・・・などの確認
作業が続きます。したがって、一点として見える星を対象としないため、上原
様がお気づきになった今回の星図ミスを既に知っておられる方がいるとしたら、
彗星捜索家ではなく新星捜索家の中にいるはずです。それも、時期を違えた写
真撮影から新星を見つけ出す方達ではなく、古来の方法、すなわち、星図の星
の配置と双眼鏡で見た星の配列を見比べながら新星発見を目指している人だと
思います。

いずれにしろ、今回の件、ぜひとも出版社に報告してくださいませ。






ゲスト
投稿日時: 2005-12-6 20:56
Re: なつかしい物
中村様、
 ありがとうございました。
 それでは、新版を確認の上、出版社に伝えることにします。
 私は、彗星捜索をしていませんが、それでも、碍子、既存の球状星団、
星図にも載っていない星の集まりを、新彗星かと思って思ってあわてた
ことが何度かあります。彗星捜索をしている人は、確認がすむまでは
多少のことでは騒がないのでしょうね。
中村輝男
投稿日時: 2005-12-9 0:03
 
登録日: 2005-7-5
居住地:
投稿: 24
Re: なつかしい物
上原様、こんばんは。

>彗星捜索をしている人は、確認がすむまでは
多少のことでは騒がないのでしょうね。

そんなことはないと思いますよ。
見慣れない彗星状天体がコメットシーカーの視野に入ってくれば
ベテランの捜索家でも驚くのではないでしょうか。ただし、その
興奮の継続時間がベテランと初心者では違うと思います。それは
経験の差で、新彗星か否かを確認できるまでの手際の良し悪しの
差でしょうか。捜索者の気質にもよりますが・・・。

ゲスト
投稿日時: 2005-12-15 7:43
Re: なつかしい物
 星図の誤りの件のフォローですが、S社の星図の新しい版について書店で調べました。
 驚いたことに、S社は現在4〜5系統の星図をつくって販売しています。限界等級が
およそ6等のもの、7等のもの、8等のもの、さらに暗いもの という感じです。
書名は必ずしも「星図」とか「Star Atlas」と銘打っているわけではありません。
いろいろな切り口で幅広い層の天文ファンにちゃんとした星図を届けよう、というS社の
熱意には頭が下がる思いです。天文年鑑にも簡単な星図がついています。

 それで、問題のうさぎ座の6等星が抜けているのは、限界等級が7等以下の星図では
私が指摘した系統のものだけでした。かつ、その星図は1999年以来の版はありません。でも、
現在でも書店にはけっこう置いてあります。売れ残っているのか古い版で印刷だけ
続けているのかはわかりません。前者の場合はもう効力はないかもしれませんが出版社に
連絡だけしておくことにします。
 



中村輝男
投稿日時: 2005-12-16 23:27
 
登録日: 2005-7-5
居住地:
投稿: 24
Re: なつかしい物
星図の件、なるほど、そうでしたか、緻密に調査されましたね。
間違い星図に正誤表を付けてくれるといいのですが・・・。

それと、私からも星図の出版社にお願いがあります。
それは、左右ページを一括して印刷され綴じられた星図についてですが、
綴じた個所付近の星が非常に見難いものがあります。この種の星図で、
きっと苦労された観測者は必ずいるはずです。なんとかしてほしいです。

私は、星図をバラバラにして、拡大コピーして使っていますが・・・。


中村輝男
投稿日時: 2006-2-17 0:42
 
登録日: 2005-7-5
居住地:
投稿: 24
Re: なつかしい物
天体発見掲示板の
「反復新星へびつかい座RSの21年ぶりの増光を、愛媛の成見さん、群馬の金井さんが検出」
について

金井さんとは、私と同県人の金井清高氏のことですが、今回の朗報を聞いて、1970年1月
に発見された「大道・藤川彗星」を思い出しました。金井氏が大道氏や藤川氏より一日早く発見
されたにもかかわらずハガキで報告したために名前が付かなかった彗星でした。

そのころは、彗星発見者として無名の新人が日本から続出しました。
故人の本田氏、反射鏡研磨の達人の池谷氏、そして、関先生、偉大な三人の彗星捜索家に続け
とばかりに続々と新天体発見者が輩出しました。なつかしく思い出されます。

最近、気になることは、新天体の発見者の中に若者がいないことです。
1970年前後に天文に興味を持った方々が現役で活躍されている状況でしょうか。
天文同好会の減少、天文学会の会員の減少、・・・
たしかに、寒風吹きすさぶ中、蚊の大群が押し寄せる中、悪戦苦闘して新天体を発見する作業は
今の若者は、ダサイ、と考えるかもしれません。この世界にも中国の若者が大挙して進出してく
るかもしれません。彼らの置かれた状況は、1970年頃の我が国の若者と同じものがあるので
はないかと思います。汗を流して苦労して夢を勝ち取るという意志です。

私は、時々、近くの小学生を集めて星を見せていますが、彼らの瞳は純粋に天体の美しさ神秘さ
に驚きを示します。しかし、だんだんと来なくなります。関先生の著書に書かれているような
「金にならない星を見て何になるのだ?」という気持ちが芽生えるのでしょうか。

こんな世の中で、関先生は、夢の大切さを子供たちに伝えるために全国に足を運ばれます。
偉人という言葉が当てはまります。

支離滅裂な文章で申し訳ありません。・・・



ゲスト
投稿日時: 2006-7-3 12:22
Re: なつかしい物
中村輝男です。
管理人さんのご努力により、ログインしなくても投稿ができるようになりました。
ところが、新しい投稿者がいっこうに現れず、理解に苦しんでいます。
梅雨空のように沈滞した雰囲気です。梅雨があければスッキリとした青空が見られる
ようになるのと同様に、日本人による大彗星の発見があれば、投稿ぼ爆発的に増える
と思います。それまで、待つことにしましょう。

きょうは休みがとれたので久しぶりに投稿させていただきます。

私の目の前の書棚に古い対数表と天体の軌道計算という本があります。永い間、ページ
を開いていないので本の上部にほこりがたまっています。これらの古本も懐かしい思
い出に溢れています。

わたしは、雑誌「天文ガイド」が創刊されると同時に彗星の軌道計算に興味を持ち始め
ました。いまでは、軌道計算のソフトを入手しパソコンにインストールしさえすれば
容易に軌道要素や位置計算ができますが、今から40年も前は、そんな便利な機器は
なかった時代です。わたしの場合は、ソロバンで計算するほかありませんでした。
関先生は、手回し計算器を使われたとか・・・・・。なにしろ、根気のいる作業でした。
収束した値が出るまで対数表・三角関数表・ソロバンを繰り返し使うのです。高校一年
の夏休みは、15センチ反射鏡の研磨と理科年表に載っている多数の彗星の位置計算に
費やされました。夏休みの宿題の大部分は、夏休み始めの三日間で済ませ、続く十日間
は友達と自転車でフォッサマグナに沿って新潟県から静岡県まで南下し地質を調査しま
した。以後、二学期が始まるまでは、軌道計算ばかりの毎日でした。

膨大なわら半紙が計算に使われました。右手の中指に硬いタコができました。
発見者、発見地、時代背景、発見状況などを、可能な限り調べました。歴史と相関して
みると、実に面白く収穫はありました。高校一年生の夏休みの間、微分・積分・微分
方程式・三角関数などを徹底的に独学しました。若い頭脳は知識をおそろしいスピード
で吸収していきました。二学期に入ると、数学の授業がやさしすぎて睡魔におそわれる
ことが多くなりました。授業は、難しく思えても、やさしく思えても、眠くなります(笑)。

高校一年生の夏休みに独学した数学と物理、このことが、わたしの人生を理系に進ませ
る原動力になりました。

その知識は、約20年後、第一高見沢彗星が現れる三日前、わたしが見た9等の彗星状
天体が位置計算して逆算した結果、同一彗星だと判断できたという無念な思いをもたら
しました(笑)。当時、星の広場という同好会に所属していましたので、会長の加茂氏
に手紙で報告しましたが、返答はありませんでした。触らぬ神にたたりなし、なんで
しょうね。東京天文台天体捜索部も同様の態度でした。池谷薫氏に、若干の不満をもら
したところ、慰められました。

その点、富田・ゲルバー・本田彗星の富田弘一郎氏(今年逝去)やウェスト・コホーテク
池村彗星のコホーテク氏などは、天文台職員が数日前あるいは数ヶ月前に見たと主張され
結果的に名前が付いたものもあります。天文台職員の有利さもあるのでしょうか?
この疑問点は、旧ホームページでくどくどと説明しておきました(苦笑)。天文台にも再
三にわたって質問しました。追求の度が過ぎると、ご本人の名誉を傷つけることになるの
で、注意が必要ですが、やはり、天文台の職員が天体を発見した場合、しかも、一般人が
発見に絡む場合、一般人以上に発見を証拠づけるものの提示が必要であると思います。
天文台職員は、情報入手の優位性・情報操作の自由度・情報使用の権力を有していますか
ら、魔が差して新彗星発見に便乗する可能性もゼロではないと思います。この辺の問題は
依然として解決されていません。「職員を信じていただきたい」の一言で終わっています。

なつかしい古本から、とんでもない方向に書込みが進んでしまいました。

この問題点の議論が、新規投稿者の呼び水になればいいのですが・・・・・



ゲスト
投稿日時: 2006-7-8 18:06
Re: なつかしい物
 今や古手のメンバとなった 上原貞治 です。
 まいどまいど新規のメンバでなくて申し訳ありませんが、ログインしなくても書き込みが
出来るようにしていただいてからの私の最初の投稿ということで、練習もかねて書き込ま
せていただきました。(スレを設置された中村様にはすみません!)新彗星が現れると、
新しい方が現れると私も期待します。

 中村様はお若い頃から軌道計算をされていたのですね。おそらく、当時そのような方は
日本では少数だったと思いますが、どうでしょうか。私も高校生の頃、軌道計算を
はじめたくてたまらなかったのですが、計算法を書いた資料を入手できませんでした。
「天体の軌道計算」というのは渡辺敏夫先生の恒星社の本だと思いますが、当時は
手に取って内容を見る機会がありませんでした。自分で計算方法を開発しようと
いうような無謀な企てさえ考えました。しばらく3角関数表を使って位置推算だけを
していましたが、のちに関先生が電卓での計算のために薄い手引きを作ってくださって、
ようやく軌道計算ができるようになりました。でも、そのころは大学に入って下宿して
いたので、手元に望遠鏡がなく観測にはほとんど役立ちませんでした。

 軌道計算が日本である程度普及したのは、電卓が普及したのちのほんの10年間くらい
(1975〜1985年頃)だったと思います。それ以降はIAUからの予報が発見後直ちに出るように
なったので、アマチュアが観測のために初期軌道を計算する余地はなくなりました。
もちろん軌道改良の楽しみは今でも残っていると思いますが、これはもはや専門的分野と
いえるでしょう。

 天文台職員による彗星発見については旧掲示板で長々と議論させていただきましたねー。
たしかに、ちゃんとしたルールはなかったと記憶しています。私自身の考えでは、
天文台職員の先生はプロですから、一般的には、魔が差してまで、彗星に自分の名前を
付けたいという情熱はあまりお持ちでないと予想しますがどうでしょうか。プロの研究者は、
どちらかというと論文や著書で有名になりたいと思うと思います。もちろん、分野や人に
よりますから、これには何とも自信はありません。可能性がゼロでないことには
ご同意いたします。

 それより、発見者の人ではなく、同じ天文分野の周りのプロの人が気を遣って手心を
加えるというのが、昔は多かったのではないかと想像します。今は、良くも悪しくも
世の中が杓子定規にせちがらくなってしまったので、そういうことはなくなってきていると
思います。







ゲスト
投稿日時: 2006-7-10 6:15
Re: なつかしい物
中村輝男です。
上原様、お久しぶりです。
なつかしい本「天体の軌道計算」の著者と出版社は、まさに上原様の言われたものです。
電卓もなかった頃、計算作業は大変でした。

>天文台職員の先生はプロですから、一般的には、魔が差してまで、彗星に自分の名前を
付けたいという情熱はあまりお持ちでないと予想しますがどうでしょうか。プロの研究者は、
どちらかというと論文や著書で有名になりたいと思うと思います。

非常にドロドロした話しになりますが、冨田氏は研究者ではあっても、職種上は研究官では
なく技官であったと記憶しています。香西氏も技官であったはずです。古くは、かのクロメ
リン彗星を最初に見つけた水沢緯度観測所の山崎氏も技官でした。上原様の勤務先の高エネ
研にも技官がおられるはずで、ご周知のように、技官は研究官の補助はできても、技官自身
が研究官を凌駕する研究をすることは、職制上、不可能です。ですから、別のことで名をあ
げるしかありません。

実は、わたしは、大学を出て社会人を数年経てから、国家公務員試験(機械系)を受験して
合格し採用候補者名簿に載せられました。すぐに、北大・東北大・東工大・名古屋工大・阪
大・九州大・群馬大学などから勧誘の電話がありました。高エネ研からも誘われましたよ。
他にも多数の研究機関から電話がありました。

いちおう、大学でどんな研究をさせてくれるか面接にいきました。ところが、技官で採用さ
れた場合は、研究ではなく教官の研究補助で一生が終わると聞かされました。ボイラー技師
の試験を受けていただくとか、施設設備の修繕とか、およそ研究とは関係ない仕事に就かさ
れるという話しでした。研究職と技官職の違いを思い知らされました。この結果、大学や研
究機関からの勧誘はすべてお断りし霞ヶ関のある官庁の行政技官になりました。公務員になって
数年後に研究予算の配分の仕事を担当することがありました。偶然にも、ある大学からの研
究予算の要求があったので研究内容の詳細な説明を求めました。すると、大学から研究者が
来られました。事実は小説より奇なりです。説明に来られたのは、数年前に大学に面接に行った
時に「技官なんだから君の人生は私の考えしだいで決まってしまう」と嘲笑した教授でした。
予算配分の権限を持った仕事は強い力を与えられます。かの教授がペコペコ頭を下げるのです。
いやな奴だなあ、と思いながら説明を聞きました。相手は、顔が引きつっていました。

わたしの言いたいことは、大学や研究所などの研究機関では、研究職と技官職とでは待遇が
違うし評価のされ方も違うということです。技官は研究論文や著書で評価されることは困難で
す。ですから、研究機関の技官の方で名誉欲がある人は、研究とは違った形で仕事を成し遂げ
たい、研究官から一目おかれたいと願うのではないかと思うのです。

昔、東京天文台の技官で望遠鏡のアイピースの十字線の貼りつけ名人がいました。くもの巣の
糸を採取してきてアイピースを分解して十字線を貼りかえる仕事の達人です。彼は、研究者達
から一目おかれ、NHKでも放送されました。皆から尊敬された技官でした。ところが、十字
線の材料としてクモの糸より良質な合成樹脂材が普及するにつれ彼の必要度は下がりました。
まもなく、彼は、職場を去りました。

研究官と技官の違いをわたしの体験から書きました。




全国の国立大学

ゲスト
投稿日時: 2006-7-10 20:41
Re: なつかしい物
中村様、
 上原 貞治です。コメントをありがとうございます。
中村様は、いろいろなご方面でご活躍のようですね。

 「技官は研究官の補助はできても、技官自身が研究官を凌駕する研究をすることは、
職制上、不可能」ということは、確かに「職制上」はそうでした。しかし、大学は
よく知りませんが、天文台や高エネ研などの研究機関では、与えられた研究課題という
ものがありますので、特に装置開発などで技官が価値の高い発明や発見をすれば、論文の
中心的執筆者になれますし特許もとれます。また、技官の人が教官になる、ということも
昔からよくあることでした。具体的にはいろいろなケースがありますが、いずれにしても、
冨田先生は(香西先生もそうですが)、教官(講師、香西先生は助教授)になっておられます。

 以上は、一般的な話でありまして、ご個人の経緯についてはよく存じませんし、
研究上のお気持ちの持ちようのことまではとてもわかりません。特に相当過去の話でも
ありますので、これ以上のコメントはできません。

 ところで、現在は、技官も(現在では、官職ではないので「技官」とは呼ばれませんが)、
競争的研究資金等を獲得して独自の研究をすることが可能になりましたので、これからは、
原理上は、いくらでも好きな研究で名を挙げることができるようになると思います。
もちろん、好きな研究課題の応募をして採用されることが必要ですので、この点で
支障が起こらない研究体制を組むことが必要です。→ これは今後の人たちへのコメントです。

 ところで、昨日、近くの古書店に、例の「天体の軌道計算」という本がありました。
立ち読みをすると、ちゃんと彗星の軌道決定法も出ていました。当時すでにこの本は
出ていたのだから、書店に注文すれば良かったのですねー。たぶん、注文していたら、
理解できないか、理解できたとしても計算に時間がかかって受験勉強の邪魔にしか
ならなかったと思います。
ゲスト
投稿日時: 2006-7-11 19:20
Re: なつかしい物
中村輝男です。
上原様、ご自身の職場における旧技官相当の職の仕事環境に関する情報を書きこんで
いただき、ありがとうございました。

>装置開発などで技官が価値の高い発明や発見をすれば、論文の中心的執筆者になれ
 ますし特許もとれます。また、技官の人が教官になる、ということも昔からよくあ
 ることでした。

これらのことは、当然のことです。しかし、研究官より条件的に不利なことが多いと
思います。講師や助教授になるにしても、提出論文の数・論文の価値・教授会の中の
どの派閥に属するか・学歴など、研究官と比べて如何でしょうか。このへんの実態は
大学に勤務しておられる旧官職の技官や研究官の方達のご意見をうかがえたらと、思
います。冨田氏や香西氏は、新彗星の発見の時点で講師や助教授になっておられたの
でしょうか? 新彗星の発見という功績も含んだ日頃の業績が認められて昇格された
ということはないですか? わたしは、日本天文学会の会員であった時期があります
が、冨田氏や香西氏の論文を読んだ記憶がありません。どなたか、お二人の論文をお
持ちでしたらお知らせください。周期彗星の検出や天体捜索部でのお仕事やアマチュア
天文家への普及活動は知っていますが・・・・・。


>ところで、現在は、技官も(現在では、官職ではないので「技官」とは呼ばれませんが)、
 競争的研究資金等を獲得して独自の研究をすることが可能になりましたので、これからは、
 原理上は、いくらでも好きな研究で名を挙げることができるようになると思います。

たいへん結構なことです。旧技官職にも出世の道が広がることはいいことです。
ただ、研究資金を獲得する際、研究職に比べて不利だという点は変わらないと思います。

>好きな研究課題の応募をして採用されることが必要ですので、この点で
 支障が起こらない研究体制を組むことが必要です。

旧技官職にとって、これが最大の難関だと思われます。
このへんも、現在、国立大学に勤務しておられる職員の方達のご意見をうかがえたら、と
思います。わたしが推察するに、研究職の方が圧倒的に有利だと思われます。研究予算の
奪い合いという現実を見ていますので、・・・・・。現実は、非常に醜い争いなんです。
ゲスト
投稿日時: 2006-7-11 22:34
Re: なつかしい物
中村様、
 上原 貞治です。私の些少の経験からのコメントにご意見をいただきどうもありがとう
ございました。冨田先生、香西先生のご経歴等については私は存じません。いずれに
しましても、ご個人の詳細の件についてはコメントを控えさせていただきたいと存じます。

>どなたか、お二人の論文をお持ちでしたらお知らせください。

 論文も研究者の経歴のうちですが、こちらは発表された客観的資料なので、ADS(The
NASA Astrophysics Data System)で、天文学の論文を著者名で検索しました。

http://adswww.harvard.edu/index.html

こういうものができて、検索には便利になりましたが、論文著者名の名前のほうは、通常イニ
シャルのみなので、イニシャルが同じでも別人が何人もいて注意が必要です。また、香西先生
は「こうざい」が正しい読みですが、古在先生と区別するために"Kosai"とつづっていらっ
しゃる、というのはどこかで紹介されていました。残念ながら「天文月報」、「天界」のよう
な会員向けの会報などに掲載されたものについては、ここには含まれていないと思います。

 たとえば、香西先生は次のような論文を出しておられます。これは、日本各地で星の数を
数えてもらって空の状態を測定したという研究のまとめと思われます。この手の調査は、
現在も天文の普及の観点から続けられていますが、これは、旧環境庁のプロジェクトとして
行われたその先駆的なものであったように思います。

Title:
Organized Observations of Night Sky Brightness in Japan
Authors:
Kosai, H.; Isobe, S.
Publication:
Light Pollution, Radio Interference, and Space Debris,
ASP Conference Series, Vol. 17, IAU Colloquium 112, 1991, D.L.
Crawford, Ed., p. 35.

IAUコロキウムの会議録のようです。香西先生はおそらく発表をされたのでしょう。

 ほかに、両先生とも、かなり以前より位置測定や測光に関する共著論文をPASJや国立天文台
の論文集などにいくつか出しておられるようです。かつての観測による研究というのは、こう
いうのが主流だったのですね。
ゲスト
投稿日時: 2006-7-12 23:42
Re: なつかしい物
中村輝男です。
上原様、論文の件、ありがとうございました。
日頃のご研究に論文や著書の検索は必要ですから、即座に検索してくださった
わけですね。

論文の件に限らず、他の方からのご意見をうかがえたら、と思います。
ゲスト
投稿日時: 2006-8-31 5:03
Re: なつかしい物
中村輝男です。

昨年来のことですが新しい投稿者が出てきませんね。
若い方の投稿を待ち望んでいるのですが・・・・・(理解不能)

IAU総会で冥王星が惑星の地位から格下げされました。
わたしも冥王星については一度も見たことがなく(実際、大型望遠鏡でも目視困難)
興味をもったこともありませんでした。ウラニウムは天王星から、プルトニウムは
冥王星から名づけられた元素であることぐらいでしょうか・・・・微々たる知識。
それと、アメリカの威信も感じられます。

彗星探しをやっていると天王星には何回となく出くわします。
恒星とは明らかに輝き方が違うので、すぐにわかります。ハーシェルによる発見の以前
にも観測者が多数いたようですが、輝き方の差に気がつかずに普通の恒星として扱ったの
でしょうね。科学の発見には注意力は重要な要素です。

海王星は、さすがに、彗星探しをやっていて気づいたことはありません。
恒星との輝き方の差が小さすぎて見分けが困難なためでしょうか。暗すぎるのも原因ですね。
ゲスト
投稿日時: 2006-9-6 21:10
Re: なつかしい物
中村輝男です

山形県の板垣氏の超新星発見に対する業績はすごいですね。
昼間は、お菓子を製造され、夜は、60センチ反射望遠鏡にCCDを使用して
効率的な新天体さがしをされておられる。さぞかし、充実した日々を過ごされて
いるのでしょうね。今回は、超新星と新星を一晩に発見されたとか、・・・・・
新星を一晩に二つ発見とは、世界初の快挙ではないでしょうか。1975年の秋
に岐阜県の森氏が一晩に彗星を二つ発見されましたが、新星を二つとは・・・・
すばらしいの一言です。

板垣氏の発見スピードが加速するにつれ、東亜天文学会の賞金の予算(新天体発見者
に贈呈する)を心配してしまいます(笑)。

昔の話ですが、偉大な彗星発見者であるバーナードは、彗星発見で得た賞金で
家を建てたそうです。

いずれにしろ、科学分野での発見者に対する賞金は、すがすがしいものを感じます。

ゲスト
投稿日時: 2006-9-8 17:23
Re: なつかしい物
中村輝男です。

一晩に二つの新星を発見というのは板垣氏ご自身が記録しているそうですね。
今回のは、超新星と新星を一晩に見つけたという世界初の快挙でした。

訂正します、それにしても、すごいですね。
中村てるお
投稿日時: 2006-9-28 9:04
 
登録日: 2006-2-9
居住地:
投稿: 3
板垣さんのご活躍
板垣さんは、今月(まだ二日残して)、超新星を三つ・新星を一つ発見されました。
今までのご活躍をみますと故・本田氏、関先生、池谷氏、藤川氏、・・・・・・など
の方々の偉業を凌ぐ勢いです。

思い返すと、1968年の5月1日、五人の日本人がアンドロメダ座に新彗星(多胡・
本田・山本彗星)を発見しました。この彗星は、その後の多数の日本人コメットハン
ターの活躍の出現の口火と言いますか、前触れのような彗星でした。ところが、名前
が確定してまもなく、山形県の板垣さんが五日前に、この彗星をペガサス座で捉えて
いたことが判明しました。新彗星の発見確認が天候悪化でできなくなり仙台天文台に
確認をお願いしていたとのことで東京天文台に報告が遅れ名前が付きませんでした。
新前のアマチュアが初めての新彗星の発見で驚き、東京天文台に報告することを躊躇
する心情は理解できます。謙虚な方は、天文台の職員に迷惑がかかることを案じ、確認
できるまで報告するのをためらうものです。その二ヶ月後に、ぎょしゃ座で発見された
本田彗星では香川県の藤川氏が発見に絡んでいたのですが、氏も東京天文台に報告する
前に関先生に確認依頼されたようです。その心情、察するにあまりあります。仕方ない
ことだと思います。経験不足で謙虚な方の当然の行動です。

その一方、実績なし・確認なしで報告して彗星に名前が付いたラッキーな方もいます。
移動確認なしで中央の天文台に報告するのは職員に迷惑がかかることが多いようです。
鳥羽彗星の発見のいきさつで、関先生が「やたらと多い誤報の一つ」として、東京天文
台からの確認依頼で撮影した乾板を処理されてしまったこともあります。

板垣氏と藤川氏の間接的な発見報告について、ある雑誌に東京天文台の天体捜索部職員
が「日本で唯一の権威を有するのは東京天文台であって、他の天文台や彗星捜索家に確
認を依頼して当天文台に知らせてくるのは間違いである」という記事が掲載されました。
わたしは、この記事を読んで、役人的な横柄さを感じ不愉快になりました。

東京天文台でさえ、関彗星の発見確認を本田氏に依頼したことがあったのです。
また、関先生も、関・ラインズ彗星の発見時には、とっさの判断で本田氏に確認依頼を
してから東京に報告されました。アマチュア天文家は、その時点で熟慮して最適な方法
をとっているわけで、東京天文台の都合に合致しないケースが多いのです。東京天文台
の指示どおりに発見確認をしようと努力すると天候次第で確認に手間取り、確認しない
で報告した他の発見者が出て来て天文台で確認し即座に公表され、一週間前に発見しま
したと報告しても後の祭りです。正直者がバカをみるのです。

1970年の秋の鈴木・佐藤・関彗星の時は、東京天文台が、関先生が新彗星の発見を
確認しようと双眼鏡をのぞいている時に、先生宅に他の発見者からの報告が相次いだの
で確認依頼をしてきました。関先生が双眼鏡をのぞいて必死に新彗星の移動を見ようと
している間、東京からの電話のベルが鳴り続いたようです。

上記の雑誌記事と整合しない東京天文台の行動です。

この続きは、次週に・・・・
ゲスト
投稿日時: 2006-10-1 13:25
立悗慮
中村輝男です。

東京天文台(現.国立天文台)は、アマチュアによる新彗星発見について、報告は
真っ先に東京にすべし、と言いながら、関東地方の天候が悪い場合は地方の有力な
アマチュア天文家に写真撮影を依頼するわけです。それは仕方ないことですが、や
はり、天文台指定の新彗星写真撮影の委託先として協定を結び、その内容を世間に
公開するのが妥当な方法だと思います。実績があるから、信頼できるから、個人的
に親しいから、ということで協定なしで確認依頼をしているとしたら、いい加減と
いう批判はまぬがれません。

関先生、香西先生、どうなんでしょうか?
アマチュアと天文台との新彗星確認依頼の委託協定などが存在するのでしょうか?

鈴木・佐藤・関彗星という新彗星を捕捉し、その移動確認をしようと必死になって
いる最中に東京天文台から電話・・・・・・、関先生にとっては出るに出られない
状況でした。全国から多くの発見報告が入って来たのでベテランに確認依頼をお願い
し確認ができしだいアメリカの中央局に発信するつもりだったのでしょう。
コメットハンターにとっては、迷惑といえば迷惑になりますよね。

関先生が、電話に出て新彗星の話を聞いてしまった時は、どうなってしまうのでしょう!
その位置まで聞けば、実は、私も発見していました、なんて言い難くなります。
関先生は電話に出ないで対処されたようですが、それが賢明な方法でしょうね。新彗星
発見の確認作業中はどんな電話にも出ないことが一番です。

国立天文台から確認依頼を受けたアマチュア天文家は全国に多数おられるはずです。
なんらかのコメントをお願いします。



ゲスト
投稿日時: 2007-2-1 2:21
儷的
ご無沙汰しておりました、中村輝男です

しばらくぶりに来てみたら関先生のご投稿が多く見られ、うれしい
の一言です。お元気にご活躍の様子で・・・・・・

先生のお話は興味深いものばかりで、そのせいか、新しい投稿者も
現れました。わたしが過去に繰り返し投稿者の出現を望み訴えてい
ましたが反応は皆無でした。今回、先生との関わりを通じて参入者
が投稿されましたが、その関係如何に関わらず、多くのご意見が寄
せられることを期待しています

ゲスト
投稿日時: 2007-2-5 19:11
文字化け対策の確認
中村輝男です

管理人さん、題名欄の文字化けの防止策をされたのこと

確認のために投稿しました
ゲスト
投稿日時: 2007-3-20 23:09
無関係の英文の削除依頼
中村輝男です。

当スレッドには全く関係ない英文が投稿されました。

管理人さん、削除をお願いします。
ゲスト
投稿日時: 2007-5-12 13:29
中古部品の処分
中村輝男です。

先日、機材の整理をして不要なパーツなどを某サイトの売買掲示板
に掲載し売りました。売れ残ったものは中古望遠鏡やパーツを買い
取ってくれるお店に持ち込み、買い取ってもらいました。

やはり、中古品は、それを求めているアマチュアに譲るのが一番で
すね。気分的に満足できます。お店に持ちこむと、ああだこうだと
ケチをつけられ信じられない位の低額を提示されるのが常です。
去年、13000円で買った未開封の双眼鏡が500円、5600
0円で買ったアクロマートの15センチ屈折レンズ(これも未使用)
が4000円、有名メーカーのオルソアイピースが300円、気分
が悪くなりました。天文雑誌に載っている店だったので余計にがっ
かりしました。80キロを車で飛ばしてきたので、取引せずに帰る
のは時間とガソリン代の無駄と思い、取引してしまいました。でも、
帰途の車中で後悔しました。相手は商売人だから仕方ないとは思い
ながらも二度と中古パーツは商売人には売るまいと思いました。売
買掲示板で無料でアマチュアに譲ったほうがよかったと思います。

大学卒業直後にも同じ気持を味わいました。
不要になった書籍類を高価買取を店頭に表示している古本屋に持ち
込んだ時でした。200冊ほどで、中には新品でピカピカの地図も
ありました。専門書もかなりあったので50000円位を見こんで
いましたが、店の主人の口から出たのは、3000円でした。信じ
られない額でした。友達の車を貸してもらって本を運搬したため、
友達にガソリン代と食事代くらいは渡さなければと思ったし、それ
に今日中に処分しないと売る機会を逃すと思い、40キロ離れた都
心の神田古本屋街まで車を走らせました。以前、友達から聞いた理
工学専門書を扱う古本屋を見つけ出し持ち込みました。すると、なん
となんと、7万円で買い取ってくれました。数時間前に聞いた低額
が嘘のような取引額でした。持ち込んだ書籍が早期に売れる環境の
古本屋に出向いたのは正解でした。わくわくとした気分で帰ってき
た記憶があります。

今回、私が持ち込んだ品が、どのくらいの売値でサイトに掲載され
るのか、気分が滅入るのは間違いありませんが、見てみたいです。
ゲスト
投稿日時: 2007-5-18 0:30
Re: 中古部品の処分
中村輝男です。

私の持ち込んだ10センチ反射鏡(斜鏡付)、買取値の35倍の
売値でサイトに出ました(売れたようです)・・・さすが!(ため息)

45年前に東京大学近くのダウエル光学で買ったもので再メッキは
一度もしていないものです。コーティングと保管が良かったのか、
メッキ面は良好に保たれていました。
いまはダウエル光学は存在していませんが、当時は、東京の本郷の
閑静な住宅街の中、立派な住宅にまるでタバコ屋さんのように小さ
な店を構えていました。看板も小さなものでした。初めて買いに行っ
たのは小学4年生だったと思います。高崎から汽車に乗って三時間、
上野駅に着いて公園口の改札を出て、不忍池を抜けて、東京大学の
赤門前付近から住宅街に入り、番地をたどりながら店を見つけ出し
ました。住宅の中に作業場もあり、商品を作っているようでした。

10歳の少年が、一人で汽車に乗って上京できたのは、治安が現代
より格段に良かったからでしょうか。反射鏡が入ったリュックを背
に駅から一時間、真っ暗な畦道を歩き家に着きました。人間の目は
月が出ていない夜でも星明かりで夜道が分かるのです。亡き母が、
戦争中はアメリカの爆撃機の空襲警報を聞くと、全ての住宅が一斉
に明かりを消し、安全なところに逃げるが、真っ暗でもあたりが見
えたそうです。感覚は訓練で鋭くなるのでしょうか。

話が脱線しましたが、そんな歴史のあるダウエル反射鏡、新しいご
主人が見つかってよかったです。








ゲスト
投稿日時: 2007-5-19 1:27
Re: 中古部品の処分
中村輝男です。

一昨日の夕方は、高崎市の西端、倉渕の奥まで車を走らせて捜天
してきました。市町村合併で高崎市が長野県境に接することになっ
たのは驚きです。

移動観測では、やはり、12センチ双眼鏡が活躍します。手製の
軽量架台も非常に使い易く、能率的な作業ができます。観測地に
着いて二、三分で観測が始められます。堅い木で作った軸受けと
マッチングして、器械の方向安定性は抜群。欠点は、天頂付近の
観望が苦しいことくらいです。

このニコン12センチ双眼鏡との付き合いは、20年前からです。
遠洋漁業の基地である静岡県の焼津港で漁船の計器を扱っている
会社から購入したもので三年ものの中古品でした。固定台と移動
用に、二台購入し、しばらくして、固定使用のものは新潟の方に
譲りました。

双眼鏡などの屈折機は、反射機と比べて維持管理が楽なので私は
好きです。
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