記事タイトル:コメットハンター 百武裕司氏の訃報 

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お名前: 佐藤 裕久   
国立天文台・天文ニュース (542)の最初の出だしは次のように訂正下さい。(1995年に地球に...となっていました)
 1996年に地球に大接近し人々の目を楽しませてくれた百武彗星(C1996 B2)
の発見者として知られる百武裕司(ひゃくたけゆうじ)さんが、4月10日夕、亡
くなられました。51歳でした。
[2002年4月12日 22時7分55秒]

お名前: 佐藤 裕久   
国立天文台・天文ニュース (542)

                   コメットハンター 百武裕司氏の訃報

 1995年に地球に大接近し人々の目を楽しませてくれた百武彗星(C1996 B2)
の発見者として知られる百武裕司(ひゃくたけゆうじ)さんが、4月10日夕、亡
くなられました。51歳でした。

 百武さんは福岡県の新聞社に勤務する傍ら、彗星の捜索をしており、途中か
らより本格的な観測をするために奥様の故郷でもある鹿児島県隼人町に移住さ
れ百武彗星を発見されました。1996年秋からは、鹿児島県姶良(あいら)町に
ある町立天文台「スターランドAIRA」の館長をされ、広く天文の普及活動をし
ておられました。

 お悔やみを申し上げます。


 以下は、鹿児島県川内市にある、せんだい宇宙館副館長の早水勉(はやみず
つとむ)さんに寄稿していただいた追悼文です。

 4月10日夜10時過ぎ、突然の奥様からの電話に耳を疑いました。奥様の「嘘じゃ
ないのよ。本当なの。」の響きに返す言葉もなく、それでも数日前まで元気な
声を聞いていただけに、これが悪い夢であることを祈りました。

  私は以前、百武さんと同じ鹿児島県隼人町に住んでおりましたが、百武さん
と初めて知り合ったのは、1995年12月の新彗星 C/1995Y1(注1) の発見が切っ
掛けでした。なんとその翌月には、その後歴史的な大彗星となった C/1996 B2
(注2)を連続して発見。こんな近くに素晴らしいコメットハンターがおられた
ことに驚きを覚え、それからは頻繁にご自宅を訪問しては、氏の深い知識と情
熱に感銘を頂いておりました。緑茶と煙草が大好き、中島美由紀を好んで聞く
方でした。

  百武さんは観測ということに、一貫した信念を持った方でした。それまでの
彗星捜索の常識は、彗星が明るく観測される確率の高い、明け方か夕方の低空
を探すというものでしたが、氏はむしろ太陽からの離角の大きい領域を探すと
いう手法を取っていました。「明るくなる前の彗星は誰も探さないはず、自分
なら眼視で12等の彗星まで見つけられる」  当時としては常識はずれの捜索方
法は、まもなく2つの新彗星の発見によりその正しさが証明されます。こんな
強烈なこだわりの一方で、世紀の大彗星となり世界的な大ブームを巻き起こし
た、いわゆる「百武彗星」については、「発見したのは私だが、私が大きくし
たわけではない。」また、「彗星捜索は見つからない夜には手元に何も残らな
い、ほとんど全ての夜に何も残らない。」とおっしゃり、「それでも自分のな
すべきことは捜索である」と矜持の姿勢に徹しておられました。そんな姿は、
まるで頑固な職人のようでもありました。

  捜索活動の傍ら、天文文化の普及のためにも力を注がれ、数々の講演等を通
じて啓蒙活動を継続されてきました。天文愛好家の集会のために、自らが館長
であったスターランドAIRAを会場に提供され、県内の連携組織である鹿児島県
天文施設の会の代表も務められました。まさに県内における天文家達の求心力
でした。

  また、無類の愛妻家でもありました。奥様の昭子さんは、晴れた夜にはいな
くなる夫に対して、いつも「今出来ることをやらなきゃね。あなたはやること
があっていいね。」と語り、夫は、はにかみながらも「妻の理解があってのこ
と、いつも感謝している」と周囲に話していました。

  今年は、年初より日本のアマチュアによる新天体の発見が相次いでおります
が、「池谷さんは憧れの人、宇都宮さんはライバル」と公言し、「彼らの活躍
が自分に勇気と元気を与えてくれる。」と喜んでおられ、死の直前まで捜索に
情熱を注いでおられました。今になって思えば、最近体調はすぐれなかったそ
うですが、周囲に漏らすことははほとんどなく、余りにも早すぎる死は、近し
い者の間でも信じられないことであります。告別式にて、いつもは気丈な奥様
の喪服姿は、立派に成長された二人のご子息に挟まれて一層小さく見え、今に
も崩れ落ちそうな様が脳裏に焼きついています。

  日本、いや、世界中のアマチュアにこれほど夢と感動を与えて頂いた方を私
は他に知りません。まだまだ教えて欲しいことがあったのに、これから誰を頼
ればよいというのでしょうか。ほんとうにかえすがえすも残念で、未だに信じ
ることが出来ません。

  今は、ただただ、百武さんのご冥福をお祈りしております。

                             2002年4月12日
                     せんだい宇宙館 副館長 早水 勉


 以下は、国立天文台天文情報公開センター広報普及室長 渡部潤一(わたなべ
じゅんいち)の追悼文です。

 百武氏の突然の訃報に接し、悲しみに耐えません。

 百武氏の発見された彗星、1996年の百武彗星(C/1996 B2)は、軌道がわかっ
ている彗星の中では、地球に接近した歴代19位の記録を持っています。しかも
彗星がかなり明るい部類であったため、長い尾を伸ばし、20世紀中の彗星とし
ては、1910年のハレー彗星に次ぐ見かけの長さとなり、多くの人を楽しませま
した。不況にあえぐ当時の日本人に夢とロマン、そして勇気を与えたのではな
いかと思います。天文学的にも多くの新しい知見が得られたエポックメーキン
グな彗星でありました。

 百武氏とは個人的に彗星会議やNHKのラジオ番組などでご一緒しました。あれ
だけの彗星を発見しながら、その謙虚な人柄に私はたいへん親しみを、そして
ある種の尊敬さえ感じました。突然、彗星に乗って旅立ってしまった百武氏の
御霊に、心よりご冥福をお祈りします。

                             2002年4月12日
                国立天文台 天文情報公開センター 広報普及室長 渡部潤一


注1:百武彗星(C/1995 Y1)、百武裕司さんが1995年12月25日に独立発見した
   最初の彗星。1996年2月から3月にかけて約8等級の明るさになった。
   国立天文台・天文ユース No.10 「新彗星 1995 Y1 発見」
              http://www.nao.ac.jp/nao_news/mails/000010

注2:百武彗星(C/1996 B2)、百武裕司さんが1996年1月30日に独立発見した彗
   星。地球にかなり接近し、夜空全体を覆うほど大きな雄姿を見せた。
   国立天文台・天文ユース No.16 「百武さん、またも彗星発見」
              http://www.nao.ac.jp/nao_news/mails/000016

参照  せんだい宇宙館・訃報
    http://www2.synapse.ne.jp/uchukan/event/news/2002-4-1.html
   ストロアーツ・訃報
    http://www.astroarts.co.jp/news/2002/04/11hyakutake/index-j.shtml
   ほか

          2002年4月12日                         国立天文台・広報普及室
[2002年4月12日 21時53分0秒]

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