記事タイトル:新天体発見の周辺問題 

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お名前: 滝沢正典   
天文と気象1978年12月号の『羽根田利夫さん自作の85mm望遠鏡で新彗星発見!』より引用してみます。
…………………………
(羽根田さんは)翌3日9時半に、電報電話局へ行き、1日、
2日の位置と光度を東京天文台へ打電した。

ところで、羽根田さんが発見したこの彗星
は、すでにカンポス彗星として世界に通報済
みで、日本でも9月2日に数人のアマチュア
に知らされ、観測がされていた。
 しかし、羽根田さんの発見はカンポスさん
より、8時間余り早かったため、東京天文台
は「羽根田さんの2日間にわたる観測と独立
発見がある」とスミソニアンの中央局へ打電
したのでした。
 一方、“カンポス彗星”のことは全く知ら
なかった羽根田さんは、東京天文台から、す
でに命名済みの彗星であることを聞いて、自
分の発見が没になるのは残念だが、この世界
では、過去にもこうした例がたくさんあるの
で、なかばあきらめていた。
 ところが、中央局へ打電後、1時間ほどし
て、「羽根田さんの早い観測があるのでカン
ポス彗星を今後“ハネダ・カンポス彗星”と
呼び改める」との異例の電報が東京天文台
に届き、改めて羽根田さんに連絡が行った。
…………………………
上記の『世界に通報済みで、日本でも9月2日に
数人のアマチュアに知らされ、』ですが、
これは、公表前の確認観測依頼と思います。

『すでに命名済みの彗星であることを聞いて』
これは、公表前の暫定的に付けた名前と思います、
つまり、正式名はまだ決まっていない段階。


※これを読まれた方、返事は要りませんので。
[2004年5月31日 19時33分44秒]

お名前: たきざわ   
こんにちは、しばらくぶりで来ました。

きのう、古い天文と気象を見ていたら、羽根田・カンポス彗星の発見事情が載っている号を見つけました。

詳しくはまた書かせていただきますが、羽根田さんの報告前に『暫定的に、カンポス彗星』と呼ばれて、一部の観測者(日本を含め)に観測依頼していた様です。

ヤフーオークションの望遠鏡のコーナーに下記の題で、出品しました、よろしかったらごらんください。
『古い天文と気象1978年12月号 羽根田利夫さん彗星発見事情』
[2004年5月31日 1時1分18秒]

お名前: 滝沢正典   
独り言。

もう25年以上前かな、堂平天文台の91cmで、富田さんが、周期彗星の検出をしていたのは。
あれは富田さんが、一人で、撮影・現像・測定・報告をしていたのだろうか?、
一夜に3個?見つけた事もあった様で。

今から13〜4年前に、東毛天文クラブの仲間と見学に行ってドーム内の91cmを真近に見ました、
思ったより、巨大でしたね、50才代の男性台員が解説してくれました(富田さんでは無い)。
カセグレン焦点部に、電子観測機?が取り付けられていて、その夜の観測準備が整っていた様です。
その日は、昼間の見学で、望遠鏡で星は覗けませんでした、

その後、ニュースで、堂平天文台の閉鎖を知りました。
[2004年4月9日 13時15分12秒]

お名前: 上原 貞治   
滝沢様、
>>佐藤健氏の書かれた本田先生の伝記が大勢の人々に
>私も読んでみたいですね、将来きっとだれかが、ネットで読めるように、してくれないかな〜。

 そうですね。ネットでも本でもいいです。版権や費用の問題もあるでしょうから、
私としましては、佐藤健先生やご関係の皆様にお願いするのみです。
 
>あと、上原さんひとつ質問なのですが、『倉敷天文台』は、設立と運営は、もしや倉敷紡績
>だったのでしょうか?。(大原美術館など見学しましたが、昔は栄えていた様で)。

 すみません。私にはわかりません。実は、申し訳ないことに倉敷天文台には行ったことも
ないのです。(大原美術館や竹林寺山の天体物理観測所は行ったことあるのですが)
[2004年3月15日 20時14分11秒]

お名前: 滝沢正典   
園部様

私の知らない事情を色々教えていただき、ありがとうございます。

>カンポス氏は…………羽根田氏と同じ新彗星を見つけたことに誇りさえ抱かれたようです。

カンポス氏は、最終的には、羽根田氏との連名が『誇り』に変わった様で、嬉しく思います。


上原様

>佐藤健氏の書かれた本田先生の伝記が大勢の人々に

私も読んでみたいですね、将来きっとだれかが、ネットで読めるように、してくれないかな〜。

本田さんは、日本の彗星捜索の黎明期に活躍しただけでなく、後進の指導にも力を入れてくれた方で、
なにより彗星捜索者の『希望の星』だったと、思います。

あと、上原さんひとつ質問なのですが、『倉敷天文台』は、設立と運営は、もしや倉敷紡績
だったのでしょうか?。(大原美術館など見学しましたが、昔は栄えていた様で)。
[2004年3月15日 12時25分55秒]

お名前: 上原 貞治   
滝沢様、
 拙文をご覧下さいましてありがとうございました。
 佐藤健氏の書かれた本田先生の伝記が大勢の人々に読まれることをいちばんに
期待しています。本にはなっていないようですが、広島周辺では中国新聞で大勢の
人が読まれたものだと思っています。
[2004年3月14日 7時59分41秒]

お名前: 園部征夫   
二上英朗と呼び捨てになっています、二上英朗氏に訂正します。
[2004年3月13日 23時46分14秒]

お名前: 園部征夫   
滝沢様
  ハネダ・カンポス彗星が発見されたのは1978年、羽根田氏が亡く
なられたのは1992年でしたか・・・・・。
  羽根田氏と同郷(福島県原ノ町)でジャーナリストの二上英朗が故郷
の偉大なアマチュア天文家である羽根田氏のために対談を実現するため
に活動されたようです。原ノ町の博物館には羽根田氏の望遠鏡も陳列さ
れているようです。
  カンポス氏は対談される数年前に父親のような年齢の羽根田氏が天文
に素晴らしい情熱を持っておられることを知り、羽根田氏と同じ新彗星
を見つけたことに誇りさえ抱かれたようです。
[2004年3月13日 23時17分20秒]

お名前: 滝沢正典   
上原様

>私が最近同好会誌に書いた本田先生の伝記に関する記事

興味深く読ませていただきました、ありがとうございました。

1968年に本田さんが	「多胡・本田・山本彗星」始め、3個の彗星を発見した時は、ちょっと驚き、また嬉しくも、ありました。
関さんの本、未知の星を求めて、を読んだ私は、関さんの「先生」で、もう引退
(彗星捜索を)しているかと、思っていましたので。
[2004年3月13日 20時0分6秒]

お名前: 滝沢正典   
上原さま

>私が最近同好会誌に書いた本田先生の伝記に関する記事

>本田実さんは、子供の頃の私にとっては神様のような人であった。

あれれ!、おんなじですね、ふーん、やっぱり……。
あとで、じっくり読ませていただきます。
[2004年3月13日 17時7分49秒]

お名前: 滝沢正典   
園部様

>羽根田氏が亡くなる数年前に、羽根田氏とカンポス氏が対談できたわけですが、

対談されていた事は、知りませんでした。
カンポス氏は、羽根田氏との対談により、羽根田氏の発見の方が早く、『羽根田−カンポス彗星』
と言う彗星名に納得なされたのでしょうか?。
[2004年3月13日 16時53分52秒]

お名前: 上原 貞治    URL
滝沢様、
 こちらこそありがとうございました。
 小石川氏のエピソードは存じませんでしたが面白いです。「独立発見」と認め
られるかどうかはともかく、「発見前観測」は結構重宝されるので報告はした
ほうがいいのでしょうね。

 本田さんが神様みたいな人だというお話がありましたので、話が個人的な話にそれた
機会に、私が最近同好会誌に書いた本田先生の伝記に関する記事を紹介させていただき
ます(上のURL)。本田先生の偉業を多くの人々に伝えないといけないと思って書いた
ものです。
[2004年3月13日 16時42分10秒]

お名前: 滝沢正典   
園部様、上原様、

色々教えていただき、ありがとうございます、まるで目に見えるように、疑問が解けます。

>カンポス氏は仮称のカンポス彗星を確定したカンポス彗星として誤って受け取っていた

そうかもしれないですね、確定したものを変えられたと思ったのかも……。


私、個人的には、色々なつかしい、当時の彗星捜索の世界を思い出しました(私は捜索はしたこと無い
けど)。

羽根田さんは、鏡筒がにょきっと飛び出した、左右に回転する箱に入って(観測所)捜索していた
ようで、8.5センチ屈折に、最低有効倍率より高めの倍率だったかな、直角プリズムをいれていたと
思う、年齢を考えれば、よくぞこんな暗い(10等)彗星を見つけられたものだと思う。

彗星らしきものを見つけたけれど、もう一歩自信が無く、報告をしなかった人が、新彗星発見の報を
聞き、その後、自分も見つけていたと、報告をする人が、続出(それほどでもないか)したとき、
仙台市天文台の小石川さんが、『遅れても(不正確でも?)いいから、報告しよう!』と呼びかけて、
ある人(忘れたけど)から『ひんしゅく』を買っていたな……。

新婚旅行に、車で群馬から九州まで行った時、倉敷の旅館に泊まり、
女将に『私は、天文ファンなのですが、倉敷天文台を知っていますか?』と聞いたら、
なんと女将は『電話を掛けてみる』と、言い、部屋を出て行きました。
私は、『本田さんに会えるのかも……』と、期待して待っていると、
女将は『(本田さんは)出かけているそうです』と、
私は、女将に『そうですか(うなだれて)、本田さんは天文ファンには、神様みたいな人なんです』
と……。

どうも、関係ない、個人的な思い出を書いて、すみませ〜ん。
[2004年3月13日 13時45分27秒]

お名前: 園部征夫   
上原様、早速の書込みをありがとうございました。
上原様のご意見は、実は、僕も全く同様に推察していました。僕の書込み
の後段に補足しようと思っていたくらいです。
おそらく、9月2日の入電でカンポス氏の発見した新彗星(仮称:カンポス
彗星)の確認依頼があったと推察されます。また、カンポス氏は仮称の
カンポス彗星を確定したカンポス彗星として誤って受け取っていた節も見
られます。9月1日から5日までの間に、いろいろなドラマが展開されて
いたと思われます。
当時、カンポス氏の発見された彗星の確認観測を引き受けられた方が、こ
こに書込んでくださると真相が鮮明になるのですが、・・・・・
[2004年3月13日 10時30分44秒]

お名前: 上原 貞治   
すみません。補足です。

 香西氏やマーズデン氏が多少困惑されたのは、「羽根田氏が国内の観測者からの
内輪情報をさきに入手して、それに基づいて自分の発見の報告を決意した」という
可能性が論理上はあり、これを否定する客観的な手段がない、という事情によるのか
もしれません。
 しかし、羽根田氏がこれを明確に否定され、東京天文台がそれを確信したのであれば、
何の問題もないと思います。科学上の発見の公表は、多くの場合、研究者のモラルに
もとづいて行われるものだからです。
[2004年3月13日 10時5分3秒]

お名前: 上原 貞治   
園部様、
 詳細なご説明ありがとうございます。事情が良くわかりました。私は、当時のIAUC
の記録と当時の断片的な記憶しか持っていませんが、以下のように推測します。

 ・この彗星の発見の「公表」はあくまでも、9月5日に「羽根田・カンポス彗星」
として命名が確定したのちに行われたものである。

 ・カンポス氏や東京天文台がこの彗星を9月3日以前に「カンポス彗星」として
認知していたのは、あくまでも「内輪」の情報であり、公表されたものではない。
東京天文台が知っていたのは、他の彗星観測者に確認を求めたり、他の発見情報を
整理するために必要な情報としてCBATから内々に届いたものではないか。
「カンポス彗星」というのも業務上の暫定的な呼び名(仮称)ではないか。

 彗星の発見報告のとりまとめや確認観測を行う部署や個人は、主要な天文台やベテラン
の観測者にあらかじめ限定されていますので、これは公表とは言えないのではないかと
思います。そうだとすると、羽根田氏の9月1日の発見記録が明確に残されている限り、
手続き上の問題はなく、だれにも落ち度はなかったと思います。園部様の書き込みを
拝見しますと、香西氏も苦慮されたということなので、規則が整備されていないとか、
前例と多少整合しないというような事情はあったのかもしれません。マーズデン氏は、
カンポス氏に直接尋ねられたので事務的な返答をするわけにもいかず困惑されたという
のに近いのではないでしょうか。また、カンポス氏が、この彗星が「カンポス彗星」と
なったという感触を持たれたというのは当然でしょうが、確定していないものが正当な
手続きによって変更されるのはやむを得ないことですので、抗議するのは当たらないと
思います。たぶん、氏も抗議されたのではなく事情を確認されただけではないでしょうか。

 推測ばかりですみません。
[2004年3月13日 8時52分19秒]

お名前: 園部征夫   
国立天文台から回答がありましたが、そのまま公表してよいかどうかの
許可につき若干の時間をいただきたいと思います。

滝沢様
  ハネダ・カンポス彗星の命名事情の件ですが、当時の東京天文台天体捜
索部技官の香西氏が本当の事情をご存知であり、ここに投稿していただけ
れば誰でもが納得できると思われのですが、・・・・、無理でしょうね。
  僕の知っている範囲のことを書きますと、羽根田氏の書かれた、ハネダ・
カンポス彗星発見記の中に、1978年9月3日の午前に東京天文台あて
に彗星発見電報を打ったところ、午前10時40分に天文台の香西技官か
ら電話があり、2日にカンポス氏の彗星発見通知が中央局から入電済みで
現時点で日本国内の観測者から続々と観測データが入っているので、あな
たを独立発見者として認め難い、ただ、あなたがカンポス氏より少し早く
発見しているので、その処理に苦慮しています、との電話があったそうで
す。さらに、4日の午前10時頃、香西氏から電話があり、天文電報中央
局からカンポス彗星を今後はハネダ・カンポス彗星と呼び改めるという異
例の通知が入りました、ということでした。
ですから、上原様からの情報とは違った状況にあったようです。
また、羽根田氏が亡くなる数年前に、羽根田氏とカンポス氏が対談できた
わけですが、それを実現させた二上英朗氏の手記の中に、二上氏が南アの
カンポス氏宅に行かれ発見事情を聞いた時、カンポス氏がマースデン博士
と会った際に彗星名の変更事由を聞こうとすると逃げるばかりだった、と
いう一節があります。
僕は、カンポス氏の心情も理解できますので、南アのダーバン市に住む彼
に手紙を出したことがあります。その文面に、しどろもどろに弁解された
というセンテンスが存在しました。
結局、僕が危惧すること、すなわち、天文電報中央局と各国天文台が発見
通報を公表するのが早すぎてアマチュア天文家の努力と成果を無為にして
しまう可能性があることを実証したようなものではないでしょうか。
ですから、早すぎる公表をなんとかしてもらいたいと望んでいます。
まとまらない文章ですが、滝沢様、お許しください。
[2004年3月12日 21時16分9秒]

お名前: 滝沢正典   
上原様、教えていただきありがとうございます。

当時の天文ガイドには(うろおぼえですが)、羽根田さんが、発見翌日、移動を確認
して天文台に報告したら、天文台には、カンポスさんの発見した彗星の情報が来てい
たようです。

天文台では、羽根田さんに、『この彗星のことを、だれかに聞いたわけでは無いでし
ょうね』と確認して報告した様です。

羽根田さんは、それを聞いて、自分の名前は付かないと思ったようです。




園部様

>羽根田−カンポス彗星の命名について、カンポス氏がIAUのマースデン博士に問
い詰めた

上記のカンポス氏の不満は、なんだとお思いでしょうか?。
自分だけの名前が付くと思っていたら、連名でしかも二番煎じになってしまったから
でしょうか?。

>マースデン氏がしどろもどろで弁解された

マースデン氏を含め、誰にも落ち度は無いように見えますが?。
[2004年3月10日 13時58分6秒]

お名前: 上原 貞治   
羽根田・カンポス彗星についてですが、
この彗星の発見を最初に報じた IAUC3259で、すでに「羽根田・カンポス彗星」と
命名し、羽根田氏の観測をカンポス氏の観測とともに掲載しています。本文を読む
とカンポス氏の発見観測の報告のほうが早かったことが読みとれます。
 ですから、「カンポス彗星」として公表されたことはないと思われます。羽根田氏
の発見が1978年9月1日で、上記のIAUCの発行が9月5日ですから、それほど命名確定が
遅れたということもないようです。
 
http://cfa-www.harvard.edu/iauc/03200/03259.html
[2004年3月10日 12時13分8秒]

お名前: 滝沢正典   
羽根田−カンポス彗星について、その後考えて見ると、カンポスさんの怒りは、
『カンポス彗星』と公表されてから、変えられたからなのでしょうか?。
そうだとすると、やはりまずいかな。
[2004年3月9日 21時26分57秒]

お名前: 滝沢正典   
こんにちは、今日初めて、こちらに来ました。
50代の天文ファンです。
彗星に自分の名前が付くかどうかは、彗星発見者にとって最大の関心事なのでしょうね。

>羽根田−カンポス彗星の命名について、カンポス氏がIAUのマースデン博士に問い
詰めた時、マースデン氏がしどろもどろで弁解された例もあります。

羽根田−カンポス彗星については、天文ガイドに発見事情が書いてあり(うろ覚えだけ
ど)、羽根田さんの発見時のスケッチがあったことと、最初の発見としては、高齢だっ
た事を加味した様に記憶しています。

マースデン氏がしどろもどろで弁解……などしないで、堂々と羽根田氏のスケッチが
あったことを言えば良かったと思うのですが?。
[2004年3月9日 20時57分29秒]

お名前: 園部征夫   
上原様、大変、参考になる資料を書込んでいただき感謝しています。
なるほど、という命名規定です。残念のことは、この規定を国立天文台の
現職員またはOBの方々に提示してもらいたかったということです。
今回、僕が立てたスレッドでの書込み内容を興味深く参照されているアマ
チュア天文家がたくさんいると想像しています。
天文台からの回答がありしだい、書込みたいと思います。
[2004年3月7日 13時9分43秒]

お名前: 上原 貞治   
すみません。前の書き込みで、下の記述は不正確でした。小惑星の命名は発見後すぐには
行われませんので、これは、

(6)普通の小惑星(NEOでないという意味)として発見された天体が、後に彗星であることが
わかった場合は、小惑星としての発見者名に彗星の性質の検出につながった観測者の名を加
える。

 ということに訂正します。

>(6)普通の小惑星(NEOでないという意味)として発見・命名された天体が、後に彗星であ
>ることがわかった場合は、彗星の性質の検出につながった観測者の名を加える。
[2004年3月7日 9時31分56秒]

お名前: 上原 貞治   
園部様、お問い合わせの件については、今後もよろしくお願いいたします。

佐藤様、CSBN,CBATについて、私の不正確な記述を訂正していただきましてありがとう
ございます。ご紹介いただきましたページを拝見しますところ、彗星の命名や登録につ
いては、あらっぽく言えば、CSBNが指導や評議や決定を行い、CBATは管理実務を行って
いるということのようですね。

 また、2人以上の発見者がいるときの命名の「ガイドライン」(2003年3月承認)が下記
のCSBNのページに出ていました。

http://www.ss.astro.umd.edu/IAU/csbn/cnames.shtml

そこにあるものは、他の方々や私によってこのページで紹介されているルールと一致して
いますが、次の点を特筆すべき「補足」として挙げておきます。なお、これらは要旨です
が私の読解や解釈に間違いがあるかもしれません。私の印象では、園部様の指摘されたよ
うな問題点があったので、このようなガイドラインを整備して改善の努力をしているとい
うように受け取れます。

(1) 名前は独立発見の発見順に付けられる。写真からの発見は、写真を撮った時点が発見
時刻とされる。

(2)2人以上のチームによる発見の時は、チーム名がつけられる。チーム名がない場合は、
2人だけのチームの時は2人の名が、3人以上のチームの時は、まったく名がつけられない
か、1人だけの個人名がつけられる。命名されるチーム名の決定権は発見者側ではなくCSBN
にある。

(3)同じ観測所や観測プログラムで、独立発見が2件以上あっても、1つの名前しか付かない。

(4)同じ苗字は重ねてつかない(赤の他人であっても)。

(5)公表された写真からの発見は、発見者の個人名は付けられる資格を有しない。一般的に
は、この発見者は写真を撮ったチームの「一員」と見なされ、チームの名が付く(チーム
に名前がある場合)。

(6)普通の小惑星(NEOでないという意味)として発見・命名された天体が、後に彗星であ
ることがわかった場合は、彗星の性質の検出につながった観測者の名を加える。

(7)過去に発見・命名され行方不明になった彗星の再発見の場合は、再発見時の軌道が計算
され独自の命名が行われた後で同定がなされた場合などに、命名の変更(後に新しい名が
付加される)がされることがある。

(8)1つの彗星には3つまでしか名がつかない。すでに3つついている場合は、他の条件を
満たしてもいても4つ目は決して追加されない(ただし、例外として名前の「変更」として
3つに組み直す処理はあり得る?)。
[2004年3月7日 9時23分39秒]

お名前: 園部征夫   
上原様、松本様、佐藤様、村上様、ありがとうございました。
皆様のご意見ご説明から、僕の不十分な知識を補完させていただきました。
最後に残った疑問点は、初回の書込みに記載しました事、天文台職員が新
彗星らしき天体を見つけたが、それを未確認の状況において国の内外から
同一天体らしき発見通知が入って来た場合、職員自身の発見証拠をどんな
形で確保されているのか、という問題です。アマチュアのコメットハンター
は天文台あるいは天文台から依頼されたベテラン観測者による確認が必要
ですが、天文台職員による発見は誰が確認するのでしょうか。単独発見で
あるのなら問題ありませんが、国内や海外からの発見情報を一手に握って
いる職員が前記の事態に直面した時、天文台内部で処理できうるものなの
か疑問です。国内のベテラン観測者に天文台職員が確認をお願いするので
しょうか。それは証拠保全の方法のひとつですが、そんな例は聞いたこと
がありません。専門家としてのプライドが許さないでしょう。
こんなことは天文台職員やOBの方にとっては不愉快なことと察しています。
しかし、僕は電機会社の特許部で仕事をしていますが、若い研究者のアイデ
アや実験成果を平気で自分の業績にしてしまう先輩社員や上司が多いことを
肌で感じています。その解決策として社内特許マニュアルが出来ました。
新天体の発見についても、天文台職員によるものは発見証拠を第三者に認知
してもらうできでは・・・・・・。
国立天文台に対して、再度、問合せをします。そして、回答を気長に待ちます。
[2004年3月5日 21時21分13秒]

お名前: 佐藤 裕久   
園部さま、上原さま

少し誤解もあるようです。以前のことは詳しくは存じませんが、現在CBATが命名しているのでは
ありません。現在はCSBN(Committee for Small Body Nomenclature:小天体命名委員会)が
命名しています。メンバーは次のサイトを見て下さい。CBATのGreen氏は彗星の命名のみに加
わっていますが局長が命名するわけではありません。ただ、発見は直接的にも間接的にもCBAT
に集められますので、そういう意味ではCBATが主導的に意見を出すのかもしれませんね。
http://www.ss.astro.umd.edu/IAU/csbn/historymem.shtml

次のIAUC 7674には C/2000 S3, 150P, C/2000 Y2, C/2001 G1, C/2001 HT50の5個の彗星を
CSBNが命名したことを伝えています。
http://cfa-www.harvard.edu/iauc/07600/07674.html

もし、彗星を発見したときは速やかにCBAT: MPC Associatesの中野主一氏(Tel 0799-22-3747 
Fax 0799-22-3747)に報告することをお奨めします。
中野氏は彗星発見の報告を受け、先ず国内の協力者に確認観測を依頼するでしょうし、CBATにも
知らせてくれるでしょう。
CBATに直接報告するのであれば、http://cfa-www.harvard.edu/iau/DiscoveryForm.html のフォーム
に書き込みます。しかし、書き込む前に http://cfa-www.harvard.edu/iau/CometDiscovery.html の
チェックリストに従って確認しておくことも必要です。また、照会も来るでしょう。

園部さま
最初の発見かどうかはやはり正確に記録しているかどうかじゃないでしょうか。スケッチでも、写真でも、
CCDでも正確に記録されていれば軌道を遡ればハッキリすると思います。
正確な記録と速やかな報告によって発見の栄誉が与えられるものと思います。
発見が認められれば、下記のように日本天文学会の天体発見賞や天体発見功労賞が贈られるでしょう。
それがプロであれアマであれ同じと思います。

上原さまの大道・藤川彗星に関する書き込みについて、
金井清高氏の発見は、1970/01/26でした。大道卓氏、藤川繁久氏の発見は01/27でした。
名前は大道・藤川彗星となりましたが、日本天文学会の天体発見賞は、金井氏、功労賞は大道氏と
藤川氏となっています。
また、前々年の多胡・本田・山本彗星は、山形市の板垣公一氏が1968/04/25に発見し、日本天文学会
の天体発見賞を受賞しています。04/30に発見した多胡昭彦氏、佐藤安男氏、本田実氏、藤川繁久氏と
山本博文氏は天体発見功労賞の受賞です。
ちなみに、池谷・関彗星の発見は池谷薫氏が最初に発見していましたので発見賞を受賞し、関勉氏は
功労賞を受賞しています。

日本天文学会の「天体発見賞に関する細則」では、第3条に、天体発見賞は新天体を最初に発見し、
速やかに報告した日本在住者に贈るとあります。第4条には、新天体の第一発見者ではないが、
独立に当該天体を発見し報告した者へ天体発見功労賞を贈ることがある。としています。
[2004年3月5日 0時7分22秒]

お名前: 村上茂樹    URL
園部さま

私は2月初めころに園部様、上原様の書き込みに気づきながら、多忙等のため書き
込みをできませんでした。その後、この件を忘れていましたが関先生のHPを見て
思い出し、ようやく書かせていただきます。失礼しました。

私はスナイダー・村上彗星の発見後、中野主一氏と国立天文台にファックスで連
絡し、その後両者に電話しました。中野氏は留守電で夜間しか執務していないと
のことでした。国立天文台には朝9時ごろから10時過ぎにかけて何度か電話しま
したが担当者が来ていないとのこと。出勤はいつになるか不明とのことでした。
インターネットの時代にこのままではいけない、海外で発見されて公表されてし
まう、と思い、他に手段はないかと考えた末に中央局(CBAT)に直接連絡するこ
とを思いついた次第です。しかし、アメリカに限らず英語圏の人は、CBATに直接
連絡するのが普通のようです。

国立天文台から回答がないとのことですが、これは命名手続きが不公正である
(であった)から回答が来ないのではないと思います。
国立天文台には天文に関してまったくの素人から数多くの問い合わせがあるはず
で、新天体情報室への発見情報も誤報が多くを占めているようです。行政改革で
以前のように「現場」の世話をしてくれる技官は激減しているはずです。その一
方で国民に開かれた天文台にせよ、と文部科学省からの指導があるはずです。研
究者である天文台職員は研究論文でしか評価されないので、新天体情報室の運営
も苦しいのだと思います。

しかし、国立天文台は看板を上げている以上は責任が伴います。園部様の問い合
わせについて無回答では許されません。何度も連絡を試みられ、回答を求められ
るべきでしょう。

実は私も税金で研究をさせていただいている身ですが、今配属されている部署の
性格上、問い合わせが多いのです。どんな質問が来ても、これも大事な仕事だと
思って出来るだけ丁寧に回答しています。かつて忙しさのあまり、不機嫌な態度
で相手に接して反省した経験もありますが、不誠実な対応は、その組織全体の印
象を悪くします。私はこの組織の顔なのだと思って対応しているのです。
[2004年3月4日 22時17分43秒]

お名前: 上原 貞治   
園部様、
 国立天文台から回答がないとの情報、どうもありがとうございます。
やはり規約がなくて公式見解が出せないということがいちばん考えられますが、
現在まだ検討中で、最終的に何らかの説明がもらえることを私も期待して
おります。
 また、公式見解がないということでしたら、個人的見解を出していただける
方がいらっしゃることを期待します。

 ところで、彗星の命名については、スミソニアンのIAU/CBATが全権を持っており、
個々の天文台がそれに立ち入る余地はないものと私は想像しておりましたが、
そういうわけでもないのでしょうか。わたしは、ケースバイケースで処理される
という恣意性はあるにしても、基本的にはCBATの英断で決められているものだと
思っております。羽根田-カンポス彗星については、途中どのような事情が
あったかは存じませんが、CBATにより単純に発見観測の早い順に命名された
ものだと推測します。
[2004年3月4日 20時46分53秒]

お名前: 園部征夫   
前回の書込みの訂正です。羽田−カンポス彗星ではなく、羽根田−カンポス彗星です。
[2004年3月3日 8時44分29秒]

お名前: 園部征夫   
本件の諸問題について国立天文台に問合わせをして約一ヶ月になりますが、いまだ
回答なしの状況です。過去、様々な問合せをしたことがありますが、すべて、1週間
以内で回答が得られました。今回、天文台職員による新天体発見の手続き規定の有無
や過去の事例あるいは彗星の命名規定をお聞きしているのですが、現時点では、完全
に無視されている感じさえあります。過去の書類さえ保管されていれば、数時間内で
調べられるはずです。残念ですね。おそらく、前記の規定類はないのか規定はあって
も不備が多いのか、どちらかではないでしょうか。また、過去の彗星の命名も関係職
員の一存で決められていたのではないでしょうか。羽田−カンポス彗星の命名につい
て、カンポス氏がIAUのマースデン博士に問い詰めた時、マースデン氏がしどろも
どろで弁解された例もあります。このまま国立天文台から何の回答も得られない場合
は、前述の僕の考えが当たっていると判断せざるをえません。彗星の命名に関しては
人間のどろどろとした部分が入り込んでいると思うのです。アマチュアの純粋な夢、
新天体発見に向けた素晴らしい努力とは裏腹なことが命名手続きで行われているので
はないかと推察します。こんな疑念を打ち消すような回答を心待ちにしています。
[2004年3月3日 8時17分32秒]

お名前: 上原 貞治    URL
園部様、
 なかなか深刻な状況であることがわかりました。
 私は、天文に限らず科学に強い魅力を感じる「素質」を持った若い人は決して減って
いないと思います。世の中が複雑になったのでその魅力に気がついていない人が多いのだ
と思います。天文同好会が減っていくのは「趣味の多様化」による時代の趨勢で仕方の
ないことだと思いますが、小中高生の人々が科学の楽しさに気づかず、かわりにパソコン
やゲームや携帯電話にばかりはまっているのだとしたら、それは看過できません。

 天文をはじめとするアマチュア科学の魅力を知り、「教科書で星の勉強をすれば充分」
ということがとんでもない間違いであったことに気づいてもらうためには、科学の本質
と魅力にじかに迫れるような本や情報(つまりほんもの)を若い人々に提供し、こけ
おどしではなくじっくりと感動してもらうことがまず大切だと考えます。私は、関先生の
「宇宙の放浪者」などのご著書を拝見したときの感動を思い起こし、このことを確信します。
そして、そのようなことは私にもできることだと思って、ささやかながら及ばぬ努力をして
いる次第です。
[2004年2月22日 7時18分51秒]

お名前: 園部征夫   
バブル後に企業経営者がリストラ策として、安く雇える出稼ぎ外国人を優遇し
技術を持った同胞を冷遇してクビ切りを行ったことも、今日の我が国技術力の
低下につながっていると思います。なにしろ、職工の世界選手権では韓国や台
湾や中国の若者が上位を独占し、日本人が食い込めない時代になったんですか
ら・・・。日本の若者の2割が無職や家庭内で引きこもり、というのに中国や
韓国の若者の目は輝いています。近い将来、天文界でも、中国や韓国の若者に
よる彗星発見が続々と増えてくると思います。日本の若者の天文離れ・理科離
れとは対照的です。人材が枯渇しつつある日本を象徴しています。
[2004年2月16日 7時7分27秒]

お名前: 園部征夫   
上原様の言われるとおり、若者の天文離れ・理科離れが深刻な状況です。
バブルの頃に、楽をして金を儲ける風潮がありました。きつい仕事は出稼ぎの
外国人に押し付けて、日本人は楽をすることを覚えてしまいました。僕の会社
の下請け企業は、現在、イラン人が日本人に技術を教えるという奇妙な職場が
多くなっています。イラン人・ブラジル人・ペルー人・・・、出稼ぎ外国人は
日本人より働き者。バブル以前の日本人に似ています。ちょっと嫌なことがあ
ると日本人は辞めてしまう、外人は絶対に辞めない(高収入の職場が見つかれ
ば、さっさと辞めてしまいますが)
最近、日本の衛星打上げが失敗続きですよね。僕は、その原因が大体分かって
います。衛星を設計する方にも問題ありですが、衛星の部品のかなりの割合が
出稼ぎ外国人が関係していることが問題です。彼らは手先が器用ではありませ
んし、会社への忠誠心が全くありませんから自分の作った部品に責任を持つこ
とは皆無です。しかし、彼らはバブル後も会社を辞めずに残ったから、いまや
製造職場でベテランとして新入りの日本人の指導までやっているんです。その
ため、バブル以前の製造技術は消えかかっています。これは、仕様書では把握
できないんです。大手の発注企業は、孫下請け企業の実態がわからない。
天文界ではどうでしょうか。楽をして観測しようとする傾向が、アマでもプロ
でも強くなっているのでは???。厳寒の野外での観測・蚊にさされながらの
観測なんて、最近の若者は苦手でしょうね。立派な望遠鏡を持っていても、生
の星を見ないから、星座の星の配列を全く知らない人もいます。天体写真の撮
影は自動機構に任せて快適な部屋に入ってテレビを見ているとか。天文雑誌を
めくっても、同好会の数の激減は物凄いものです。新星や彗星の捜索者の年代
層は年々上がってきていますよね。そのうち、日本からの新天体発見通報が途
絶える時期が来るのではないでしょうか。
僕はボランティアで小学校の天体観測会を開いたりしますが、児童達の健康面
や防犯問題を理由に観測会の申し出を断ってくる小学校が多いことに困惑して
います。教科書で星の勉強をすれば充分、という校長もいるんです。
理科離れの原因が分かりますよね。
[2004年2月15日 13時0分35秒]

お名前: 園部征夫   
佐藤様、上原様、貴重なご意見をありがとうございました。
なるほど、と思うご意見です。僕も彗星の命名方法についての昨今の傾向、世界の天文
学会の流れに賛同しています。一人の名前を付けるのが最良だと思えるのです。唯一の
世界最初発見者の名前だけですね。ただし、それ以前の最初発見者が名乗り出て証拠が
認定されれば彗星名の変更をするとか・・・・。その発見者以外は、全て、平等な独立
発見者として栄誉が与えられるとか・・・。写真による発見は撮影者ではなく写真から
新彗星を見つけた人に与えるとか・・・。これらの私的意見はアマチュアとしての僕の
希望です。法曹界にも素人裁判員制度が導入される方向です。天文界にもアマチュアの
意見が反映される場が設けられるよう希望します。
この件については、いま、国立天文台に問い合わせております。回答が得られましたら
天文台の許可をもらい、このスレッドに書込みをしたいと思います。
[2004年2月13日 0時57分9秒]

お名前: 佐藤   
彗星の命名は、やはりケースバイケースなのですかね....
1995年以降、原則として2名までの連名に止める、周期彗星番号登録されている彗
星の再発見には仮符号をつけない、見失われた周期彗星の再発見の場合には原則
として再発見者の追加命名は行わない、という方針になっていますが、これはあ
くまで原則論であって、例外はいくつかあります。
初期軌道を誤るか、計算前に新発見とされた11P/Tempel-Swift-LINEAR彗星、
54P/de Vico-Swift-NEAT彗星、146P/Shoemaker-LINEAR彗星がそれにあたりま
す。
中央局が新発見と認めて命名してしまった場合は、例外として命名処理されるの
でしょうね。
また、すでに番号登録済みの彗星が過去に観測されていた彗星と同定された場合、
過去の発見者の名前はつかないと思われます。(La Here周期彗星と6P/d'Arrest
は1990年代になって同定されたが、La Hereの名前は追加されなかったため)
153P/Ikeya-Changの場合も前回回帰(1661年)の際の記録者であるHeveliusの名
前は追加されませんでした。
未来の話にはなりますが周期400年ちょっとのC/1861J1(Tebbutt)や2500年弱
のC/1995O1(Hale-Bopp)が回帰した際に彼らの名前は残されるのですかね...
[2004年2月11日 21時34分56秒]

お名前: 上原 貞治   
たびたびすみません。補足です。
1990年代以降、IAUC/CBATの中核スタッフはできるだけ彗星に大勢の名前を
付けないように努力しているそうです。SWAN彗星も、もしこれが1980年代
なら鈴木氏のお名前もついたものと思っています。スィフト・タットル彗星も
デビコ彗星も同様の事情にあったと思います。現在では、発見情報はすぐに
IAUCで公開され、早期に軌道が計算されて過去の彗星と照合されたのちに
名前が確定するようになったので、大勢の人の名が付く可能性は減ってきています。
  
[2004年2月11日 18時35分58秒]

お名前: 上原 貞治   
園部様、
 すみません。またまたお名前を間違えてしまいました。この不注意者をひらにご容赦下さい。
[2004年2月11日 18時16分6秒]

お名前: 上原 貞治   
園田様、
 聞いたり読んだりした話のほかは全て推測ですが、私は次のように思っています。

(1) ウェスト・コホーテク・池村彗星のケースは、発見事情、その後の取り扱い
とも、当時でも極めて例外的であった。ウェスト氏とコホーテク氏の発見情報は
池村氏の発見によって最終的に同じ彗星として結論づけられる以前に独立の彗星
発見として報告されていたので、このケースは行方不明になった彗星が再発見
されたような状況に近い。

(2) 通常は、(過去でも現在でも)天文台に通報された発見情報については、
その発見時刻の早い順に高い優先順位で発見として認められる。ただし、その
情報が掲載されたIAUCが発行されてしまうと、それ以後に報告された観測は、
ただの独立発見としてしか認められない(仮に時刻が早くても彗星に名前は付か
ない)。天文台のスタッフが、通報以前にその天体の存在に気づいていて、
確認の努力をしようとしていたのならば、これは外部の通報者と同等とみなす
ことができる。

(3) 2人以上の協力で彗星が発見された場合は、その事情に応じて、どちらか
一方、あるいは両方の名前が付く。ただし、現在では、2人が密接に共同作業
プロジェクトとして発見をしたのでないと両方の名前はつかないように思う
(写真を撮った人と彗星の存在を指摘した人が互いに全く無関係だったら、
どちらか一方しか認められない)。

 いずれにしても、私は彗星捜索をしたことがありませんので、細かい事情や
問題についてはよくわかりません。このような厳しい状況下で世界で最初の発見を
めざしておられる捜索家の方々の熱意と努力にはただただ頭が下がるばかりです。
[2004年2月11日 18時14分29秒]

お名前: 園部征夫   
松本様、書込みをありがとうございます。関先生と親交されている、福井県のうどん屋
さんの松本様ですね。小林−バーガー−ミロン彗星の発見に立ち会われた松本様ですね。
御多忙の中、この件につき御回答をいただきうれしく思います。
僕は、過去の彗星発見の歴史や発見事情について興味があり調べていますが、彗星の命名
方法がきちんと確立されていないのではないか、どこまでを独立発見者と決めているの
か、疑問を持っているわけです。天文台の職員の一存で最初発見者と独立発見者を決めら
れたら夢に向かって努力してきた彗星捜索者にとっては耐えられないことです。ですから
新天体の命名の規定や発見者の認定方法の規定がありましたら、天文台から公表してほし
いと思うのです。この規定が公表されれば新天体捜索者は納得すると思います。
1950年代にチェコスロバキアのタトラ天文台の職員が多数の彗星を発見しました。
その中に、本田・ムルコス・パジュサコバ彗星のようにタトラ天文台の複数の職員名が付
けられたものがいくつかあります。同じ天文台の中で、ムルコスさんとパジュサコバさん
が別々の望遠鏡で同じ新彗星を発見されたのでしょうか。信じ難いです。
ウェスト・コホーテク・池村彗星は池村さんが発見した後にコホーテクさんが自分の撮影
した写真を調べて発見しウェストさんは五ヶ月前の写真を調べて発見したんですよね。
過去の写真を調べて新彗星の発見者になれるなんて納得できないのです。お二人とも、天
文台職員ですから、こんな甘えが許されたのでしょうか。
浦田・新島彗星の発見事情はどうだったのでしょうか。浦田さんが撮影された写真を見て
いて新島さんが新しい彗星を見つけたと、記憶していますが、それでは、その発見場所と
同じ星野写真を1日前に撮影した人がいて名乗り出てきた時は、どうするのでしょうか。
富田・ゲルバー・本田彗星は、富田さんが未確認の彗星らしき天体を本田さん達より数日
前に見ていたそうで三者連名の彗星になりましたが、富田さんは未確認のまま誰にも話さ
なかったのでしょうか、誰かに発見事情を知らせていたのでしょうか、発見データを本田
さんの通報が来る前に同僚か他の公的天文台に示されたのでしょうか、僕は、その辺を天
文台の当事者であるからこそ、きちんと公表すべきだと思うのです。スキッフ・香西彗星
の香西さんはスキッフの新彗星発見通報が届く前に同じ彗星を写真で見つけておられたの
でしょうか。通報を見て、コホーテクさんのような作業をされたのでしょうか。
僕が最初の書込みの終わりに書きましたが、天文台の職員に迷惑をかけたくないために新
天体確認作業の遅れ、それが発見通報の遅れにつながり、結局、最初の発見者にも独立発
見者にもなれなかった不幸なアマチュア天文家が過去にいたのではないかと思っています。
正直者が馬鹿をみることは、僕の三回目の書込みに示しましたように避けなければなりま
せん。ウェストさんのように専門家の有利性から五ヶ月前の写真を持ち出してきて発見者
として名乗り出て認められてしまうなんて・・・、天文愛好者の皆さん、どうでしょうか、
天文現象の発見はアマもプロも同等の権利が付与されて当然だと、僕は思っています。
長くなりました。結局、天文台から命名規定と発見者認定方法のきまり、などを公表して
いただけるのが一番だと思います。国立天文台の迅速なご回答を待機している次第です。
ない
[2004年2月11日 12時26分30秒]

お名前: 松本敏一   
園部様のご意見を伺って、遠い昔に同じ疑問を抱いたことを思い出しました。貴重なご意見の
ご指摘に敬服致します。
過去には、仰言っているような苦い経験をし、疑問を持ったまま去っていった彗星捜索者が
いたことを、風の便りに聞いております。彗星捜索を真面目に真剣に取り組む者にとっては、
納得できないこのような間違いは、極力無くすべきと痛切に思います。それにまた捜索への
意欲を削いでしまう悲しい出来ごとでもありますので、上原さまも仰言るとおり、もし何ら
かの裁定する規約のようなものが無いとすれば、是非とも作成されることを切に望みます。
主題とは外れますが、また私の偏見かも知れませんが、そのような間違いで以って、発見の
栄誉のすべてを逃すということでも無いように思われます。当事者になっていないので良く
分かりませんが、発見通報後の処理等に疑問を抱くあまり、彗星捜索を投げ捨ててしまうこ
とは、捜索の醍醐味が発見だけに留まらないと考えるならば、極力避けていただき、いま
ひとつ奮起して捜索を続けて欲しいと願います。
目先の現象に、一喜一憂し、また右往左往していては、発見もさることながら、継続することに
さえ支障をきたすでありましょう。継続してこそ発見のチャンスに繋がります。
大きな気持ちで、星に癒されながら捜索を続けていきたいものです。捜索者のひとりとして、
ご意見に対して、感ずるところを述べさせて頂きました。
世間には様々な出来事がたくさんあります。薗部さまの貴重なご意見に直ぐにでも書き込み
たかったのですが、いろんなことがあってどうしてもできず、遅れましたことお詫び致します。
[2004年2月11日 0時35分51秒]

お名前: 上原 貞治   
園部様、

 心温まるお話をありがとうございました。胸に残るものがありました。
確かに、最近は、自分さえよければ他人が困っていようが知らんぷり、という人が
増えているように思います。よく言えば「個人を尊重している」つもりなのかも
しれません。

 広い夜空に星を探している天文愛好家にはそのような狭い心を持った人は少ない
と思いますが、最近、若い方で星を熱心に観測している人が減ってきているとも
聞いています。天文雑誌の同好会だよりを見ますと、私が子供の頃には新しい
同好会がいくつもできていたようですが、最近は当時すでにあったような老舗
どころばかりが目につきます。これも「個人主義」の反映なのでしょうか。
それならまだいいですが、会が結成できないほど天文がマイナーな趣味になって
しまったかと考えると心配になります。話がだいぶわき道にそれてしまいました。
[2004年2月10日 22時33分30秒]

お名前: 園部征夫   
上原様、毎回の書込みを有難く拝見させていただいております。
上原様が述べられていることは同感です。そのとおりだと思います。
ただ、僕が気になっていることは、この件に対するご意見が上原様のみで他のアマチ
ュア天文家や天文ファンから何一つないという異常な点です。サイトの訪問者カウン
ターを見ますと、この件を書込んで以後、数百人の天文ファンが来訪されたようです
が、ご意見を書かれた方が上原様のみというのが理解できないのです。都会でのアパ
ート生活にも似た寒々としたもの、他人への無関心さを感じています。
5年前の正月に起こった事件を思い出します。あれは元旦の深夜でした。静岡県の国
道を望遠鏡を車に積んで観測地に向かっていたところ、午前2時しかも寒風吹きすさ
ぶ酷寒の野外にもかかわらず、杖をついた足の悪い老人が歩道を歩いていました。
その周辺には民家が全く無く、あまりにも異常な光景でした。僕はいったんは通り過
ぎたものの、その老人が気がかりで10キロ先から引き返しました。反対車線の歩道
を見ながらの運転でしたから本当に危険でしたが、運良く老人を見つけました。老人
に声をかけ車に乗せてやると彼の眼から涙が溢れました。よくよく事情を聞くと、同
居している息子夫婦の家から追い出されたので娘夫婦を頼って甲府から名古屋まで歩
いて行くのだと言いました。所持金は数万円持っているが、娘夫婦の家にお世話にな
るので食費として差し出すので大事にしているとの事。僕は驚きと悲しみと怒りで唖
然としました。老人を乗せたのは甲府から200キロの場所。その長い道程、おそら
く何万台もの車の運転手が彼を目撃したはずです。誰一人として85歳の老人に声を
かけないとは・・・!!。
僕は警察に電話して彼を委ねました。彼の子供達も酷いものですね。
他人に無関心、人が困っていても見て見ぬふりをして逃げる、という日本人の特性は
日本経済が発展していく過程で日本人が身につけた悪い性格だ、と祖父が嘆いていま
した。1960年以前の日本は、例えば、行商で大きな荷物を担いだおばさんが困っ
ていれば誰かが必ず手助けしたもんだよ、皆が助け合って生きていたんだと話してく
れました。多くの日本人は、そんな心を持っていたそうです。
今回、あらためて祖父の言葉を思い出しました。
[2004年2月9日 23時9分29秒]

お名前: 上原 貞治    URL
園部様、

  お気持ちは察するに余りあります。

  この状況を見て私の考えますところ、国立天文台や公共天文台の多くは公的機関
ですから、内部の規則は、その明文化の有無に関わらず、すべて「公務」に属する
事柄です。その公表が機械的に可能な場合はともかく、少しでも「微妙な問題」を
含む場合(今まで公表されたことがないとか、外の社会に何らかの影響を与える可
能性のある時)は、それを「私的な方法」でしかも自発的に公表を頼むのは無理が
あるのだと推察します。

 これは「権威」とは関係がありません。一般的に公務に関わることは私的な行為
と区別して行わなわれるものだからです。私は、こちらの掲示板で公式見解を発表
しても実質上は「公的な広報活動」に当たると思いますが、ひろく一般にはそのよ
うに受け取られない可能性があります。 また、すでに退官された方であっても、
個人的見解を述べた場合に現役の職員の人々の仕事に影響を与える可能性を考えら
れるかも知れません。

 今回の件については、部外の人の憶測や非公式な個人的見解が得られても園部様
の目的は達せられないと存じます。公式見解を得るためには、しつこいようですが
やはり天文台に直接お問い合わせになることをお勧めいたします。(すでに問い合
わされていて回答が得られていないのでしたら申し訳有りませんが、たとえ電話一
本であっても国立天文台の広報担当に問い合わされた質問は、天文台の業務の一つ
として処理されるはずです。)
[2004年2月9日 19時53分44秒]

お名前: 園部征夫   
この件で、多くの方々からの意見を期待していたのですが、溜め息だけが出てきます。
[2004年2月8日 16時16分2秒]

お名前: 上原 貞治   
 園部様のおっしゃることは、もっともなご疑問であるように思います。
以下は、私の考えです。ご参考になりましたら幸いです。すでにお考えのこと
でしたらごめんなさい。間違いや的はずれな点もあるかとじますがご容赦ください。

(1) 国立天文台の内部の規定については、情報公開法もできたことですので、開示を
請求することは可能です。でも法律に従った面倒な手続きをせずとも、その趣旨に
のっとって、何らかのレベルの情報は聞けると思います。私の経験では、電話での
問い合わせがいちばん速く親切に対応してもらえると思います。以下をご覧ください。

http://www.nao.ac.jp/J/QA/index.html

(2)しかし、ずっと過去のことについては、規則や事務処理の方法が変わっていたり、
責任のある回答ができる人がいなかったりで、出て来にくいのがお役所の場合よく
あることです。天体捜索部は現在では新天体情報室にうけつがれて、新天体発見
そのものを研究目的とはしてはいないようですが、観測中に新天体を捕らえることは
あり得ますので、何らかの規定があるかもしれません。ここに問い合わせてみられても
よろしいかと存じます。

(3)第一発見者と独立発見者の区別については、たとえば、金井氏の大道・藤川彗星の
発見は、そのときは「独立発見」としてIAUCにコメントされています。そののち、訂正が
あって厳密に記録に残される性質のものか不明です。国内では、日本天文学会の
「天体発見賞」、「天体発見功労賞」の授賞が参考になると思います(前者は第一発見、
後者は独立発見に対応しますが、私は受賞者の方々のリストを持っていません)。
現在では、一般に発見が公表される前に通報し、観測時刻、天体の位置やスケッチなどが
明確に残っていれば、通報が他の人より遅れたとしても第一発見として認められると
思いますが、はっきりとしたことは、彗星捜索をやっていらっしゃる方のご回答をお願い
したいと存じます。

(4)IAUによる彗星の命名は現在でもある程度の「裁量」があるようで、これもはっきりと
した基準は公表されていないと思います。たとえば、鈴木氏が発見された「SWAN彗星」の
名前が決まるのにかなりの時間がかかったのは記憶に新しいことです。公的機関のプロジェ
クトの特殊な機器を用いた発見は、そのプロジェクト名がつくようになるのが趨勢だと
推測します。でも、一般の人が撮った写真に他人が彗星を見つけた場合などは、現在でも
個々の状況に応じて何らかの裁定が必要なのではないでしょうか。
[2004年2月2日 3時2分19秒]

お名前: 園部征夫   
上原さま、わざわざご回答くださいまして有難うございました。
周期彗星の名称変更については、疑問が解決しました。僕が知らなかったことです。
ありがとうございました。僕の他の疑問については権威ある天文台の職員や旧職員の方に
とって、やはり、公表しにくいのでしょうか?
天文台職員が新天体を発見された場合の対応マニュアルなどが当然あるのではないでしょ
うか?  それがなければおかしいですよ。天文台の中での作業も透明性が必要でしょう。
旧東京天文台の天体掃索部の方が見ておられれば、ご回答をお願いしたいです。
この場で公表していただければ、僕のような天文愛好者は納得できるのですが、・・・。
僕は某企業で特許関係の仕事をやっていますが、ある研究者が上司に研究成果を報告する
と、上司が、その発見は私も気付いていたんだよご苦労様、と言って成果を横取りしてし
まったことがありました。その騒動があってから研究者が納得できるマニュアルを作成し
ました。
このたびの案件は、これと同じことだと思うのです。僕の会社のマニュアルは会社内のみ
の周知で間に合いますが、新天体発見に関する対応マニュアルは世間に公表すべき性質の
ものだと思うのです。
[2004年2月1日 22時41分29秒]

お名前: 上原 貞治   
園部様、
 
 先ほどの私の書き込みで、お名前を間違えまして大変失礼いたしました。
 お詫びいたします。
                    上原 貞治
[2004年2月1日 15時18分21秒]

お名前: 上原 貞治   
園部様、
 
 先ほどの私の書き込みで、お名前を間違えまして大変失礼いたしました。
 お詫びいたします。
                    上原 貞治
[2004年2月1日 15時18分14秒]

お名前: 上原 貞治    URL
園田様、

 上原 貞治と申します。

 興味深いご質問だと存じますが、ご返答が得られていないところを
見ますと、非公式な立場からは回答しにくい内容なのかもしれません。
やはり、国立天文台、あるいは、IAUのCBAT に直接尋ねられるのが
最善と私は考えます。

 周期彗星については、1995年の改革以降、現在では、もともと P/、
D/がついている彗星は原則として名称変更されないことになっていると
思います。このような変更は、それ以前から徐々に行われていたように
思います。ですから、少なくとも1990年代前半は、はっきりとした
基準はなかったのだと推測しますが、どうでしょうか。
[2004年2月1日 10時29分55秒]

お名前: 園部征夫   
僕の書込みは、このホームページにふさわしくない内容なのかも知れません。
でも、素朴な疑問であり、アマ天の一部の方々は同様な疑問を抱いていると思うのですが、
・・・・・。
[2004年1月31日 2時12分57秒]

お名前: 園部征夫   
天文台の職員、特に天体掃索部の方が彗星を発見された場合、どのように対処されておられ
るのか知りたいのです。過去において、下保・コジク・リス彗星、岡林・本田彗星、富田・
ゲルバー・本田彗星、スキッフ・香西彗星などがありますが、公的機関の職員が新彗星を発
見され未確認の段階で、日本各地から発見の通報が入った場合、御自分による発見証拠をど
んな方法で確保されるのでしょうか?
また、多胡・本田・山本彗星を数日前に発見されていた山形県の板垣氏、大道・藤川彗星を
最初に発見されていた群馬県の金井氏は、最初発見の栄誉を与えられたのでしょうか、それ
とも、ただの独立発見として処理されたのでしょうか。僕は、通報の遅れと科学現象の最初
発見は混同される性質のものではないと思うのです。世界各国、同様な方法で処理されてい
るのですか?  スナイダー・村上彗星を発見された村上氏のように天文中央局に直接通報し
て最初発見を確保する方法は世界的な流れでしょうか?  過去に、フィリピンのボーシン氏
が天文中央局に直接通報されてボーシン彗星になった例もあります。
また、周期彗星の発見に関しての彗星の名称変更はどのようになっているのですか?
デニング周期彗星は香川県の藤川氏によって発見されデニング・藤川彗星に名称変更されま
したが、長野県の木内氏によって発見されたスイフト・タットル周期彗星は名称変更はされ
ませんでした。
上記の質問は本来は国立天文台に聞くべきものですが、回答が得られるまでに相当な時間を
要するらしいので当サイトに書込みをさせていただきました。旧東京天文台の元技官の香西
氏がご覧になっておられれば御回答をお願いしたいと思います。
最近は新天体の発見の公表が早くなったために天文台に通報できないケースも出て来ている
と思います。天文台に迷惑をかけたくないので新天体の確認をしようとまごまごしていたら
他の発見者が未確認状態で天文台に通報し公表されてしまい、正直者が馬鹿をみる・天文台
の職員を気遣う者が損をした潜在的事例も数多くあったのではないかと思います。
[2004年1月27日 16時27分25秒]

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