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芸西天文台通信<2006年8月21日号>


不思議な彗星「タットル・ジャコビニ・クレサク彗星」に纏わる報告

 1951年に長いこと行方不明中だった同彗星を、チェコのクレサク博士が新彗星の捜索中に眼視的に発見した話は前に述べましたが、これは、その後に起った珍奇なまた驚くべき現象です。
 芸西のコメット鏡はここでも貢献することができました。鏡は青板よりさらに悪いと言われる”流し込みガラス”で、しかもそれを支える赤道儀は40”も周期的にずれるというN社の代物。そのような悪いテレスコを人間の熟練で辛うじて支えると言う、なんとも苦しい情けない観測を続けていた時代でした。しかし「コメット鏡」は出来上がったばかりで観測する私の胸にも人一倍の気合が入っているのでした。
 そもそものことの起りは、1973年の異変でした。タットル・ジャコビニ・クレサク彗星はその年の回帰を迎えて、BAAのハンドブックにミルボルン等が位置の予報を発表しておりました。即ち5月29日に近日点を通り、5月から6月にかけて最大14等の予報でした。ところが6月の中旬になってスミソニアンから突然電報が入り、4等に増光したというものでした。しかも立派な尾を引いている。あまりのことにマースデン博士は全く別の彗星がその軌道の側に現れたと思ったほどで、日本にも問い合わせてきたほどです。しかし梅雨中の日本では何処も観測することは出来ませんでした。結局これは同彗星の突発的な異常増光で、なんとBAAの予報より10等級も明るくなった事になります。発見者の1人で理論家のクレサク博士は「今回の爆発的な増光によって彗星はエネルギーの大半を失ったであろう」との見解を明らかにしました。そのような訳で、来る1978年の回帰では計算したマースデン博士はBAA誌に最大でも20.4等というとんでもない暗い予報を発表してしまったのです。しかも位置は夜明け前の超低空で今回の条件は最悪です。これでは皆恐れをなして探さないでしょう。
 そんな時彗星の接近する師走の寒い明け方の空にただ一つ予報のバリエイション上をねらって動いているテレスコープがありました。言うまでもなく芸西の完成したばかりのコメット鏡です。「彗星は必ず光を挽回しているはずだ!」そう信じた望遠鏡は、静かに明けてくる東の低空に向けられたのです。
 その時ファインダーを覗いた私は一瞬ギョッとしました。なぜなら最大光輝の頃の金星が視野の真ん中にあってランランと輝いているではありませんか!「これはだめだ!」と思ったものの、念のために1枚、2枚、短い露出で撮影を続けました。その視野にタットル・ジャコビニ・クレサク彗星が映っている事が分かったのはそれから数日後でした。金星から離れた位置に確認することが出来て、前の観測も生きてきたわけです。多分この検出がコメット鏡の最初の成果であったと思いますが、とにかく努力と言うものはやってみることだ、と言う力強い自信を得ました。
 今回見つかったガラスのプレートはたった1枚で視野全体が金星のゴーストでけむっています。再観測に否定的だったクレサク氏や日本のH氏は今回の観測をどのように思ったのでしょうか。
41P/Tuttle-Giacobini-Kresak                          
1978UT            α (2000.0) δ     m1         
Dec.11.84583  14 39 34.21  -11 38 18.8   14.9     372

41P/Tuttle-Giacobini-Kresak
1978年12月12日 5時10分(J.S.T)から16分間露出
40cm F5反射鏡
103a-O乾板
Copyright (C) 2006 Tsutomu Seki.