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芸西天文台通信<2006年8月19日号>


羽根田・カンポス彗星の写真

 不運の星「羽根田・カンポス彗星」は、いま何処の天空をさまよっているのでしょうか。羽根田さんはかつての「イケヤ・セキ彗星」に憧れて、私と同じ9cmF7の屈折式コメットシーカーを自作して捜索していました。1978年秋、アフリカのカンポス氏と時を同じくして南天に新彗星を発見されましたが、その時東京天文台には、既にIAUから”カンポス彗星”発見の電報が入っており羽根田さんの発見は報告が遅れましたが、スミソニアンの寛大な措置によって彼の名が最初に輝く事となりました。天文台の香西氏から私に確認の依頼があっていました。この1978年には97年ぶりにデニング・藤川彗星も出ており華やかな年でした。
 洗面場の古い棚の上に「羽根田・カンポス彗星」のガラス乾板2枚を見つけました。40cmF5のコメット鏡で観測したもので、同時にタットル・ジャコビニ・クレサク彗星の検出写真も発見されました。あの頃の自作のコメット鏡は良く活躍したものです。
D/1978R1(Haneda-Campos)                            
1978UT           α(2000.0)  δ      m1       
Oct.29.65764  02 24 26.02  -28 32 05.9   14.4   372
    31.70069  02 32 49.15  -26 33 25.3   14.5   372
 彗星のイメージは核も芯もないフワーとした霧のようで、しかも地球に接近していたためモーションが非常に早く流れています。その後消えてしまったのも頷ける姿です。40cmの写真を見てもその事が分かります。この彗星はその後何回かの回帰の時期に芸西でも60cmで探しましたが結局見つかりませんでした。恐らく普段は大変に暗いものが発見時に一時的に増光していたものでしょう。
 羽根田さんは、発見の夜は観測に行く予定がなかったが、飼い犬が行きたいと言う事で盛んに吠えたので、観測所に行って発見したそうです。日本昔話の「花咲爺さん」の「ここ掘れワンワン」のお話を思い出します。

D/1978 R1 (Haneda-Campos)
1978年10月30日 0時45分(J.S.T)から8分間露出
40cm F5反射鏡
103a-O乾板
Copyright (C) 2006 Tsutomu Seki.