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彗星が輝くとき

V 彗星を追ってハワイへの旅

 3月10日の22時。関西空港を発ってから2時間ばかり経過した頃だ。座席が右側の窓際だったことを幸い、星が見えるだろうかと外を覗いてみた。しかし1つの星も見えず眼下は一面の、まるでじゅうたんを敷き詰めたような雲だった。時々雲が切れるが1万500米の上空から見た太平洋の海は眠っている。ただ暗いだけで1つの明かりも見えぬ。あきらめて寝ようとしたがエンジンの音が高くてなかなか寝つかれない。さらに1時間くらいして、室内灯が消えたのを機にもう1度窓外に目をやった。そこには驚くべき光景が私を待っていた!ケンタウルス座の星であろうか。南天で日本から馴じみの薄い星座であるが、20度ばかりの広大な空間に、まるで全部の星が1等星であるかのごとく、ものすごい輝きをもって暗黒の宇宙空間に展開しているのである。成層圏に近い高空を、偏西風に乗って飛ぶ関係か、機体は実に安定し、翼の尖端にくっついた2等星が翼から一向に離れようとも隠れようともしない。そして、そのケンタウルス座からさらに南に目を転ずると、なつかしい南十字の星が水平からはるか下に見えている。

[飛行機の窓から撮影したケンタウルス座の写真]
No.7 ハワイへ向かう機上から撮ったケンタウルスの星たち。
画面左上にさそり座のアンタレスが見えている。

 今から11年の昔、ハレー彗星を見るため、バリ島やニューカレドニアに行ったことをふと思い出した。季節も同じ3月に、初めて南十字を見たのであった。十字の近くの石炭袋や宝石箱のそばに輝いていたハレー彗星の美しさは今も私の脳裏に焼きついている。

 私はバッグからカメラを取り出して窓ガラスに押し当て、何枚かシャッターを切った。フィルムはISO400。しかしレンズは28mm広角でF3.5と暗い。10秒以上もバルブ露出するのだが、写るはずのものでもなかろうが、国際線の機上で見た、この見事な星空の印象を何とか記録に残したい。そういう一念もあって私は祈るような気持ちでシャッターを押しつづけた。もし写っていたら奇跡。高速の飛行機の中から星空を写すなんて、前代未聞のことであろう。

 東からさそり座が見えてきた。幽やかに銀河の光芒が漂っている。ハワイ時間では、もう夜明けが近いかもしれない。さそり座の見え具合や南の水平線上の星の高さから、飛行機は北緯30°くらいを飛んでいるものと判断した。

 窓外の星景色に夢中になって気が付かなかったが、室内に目を転ずると前方のスクリーンに突然ヘール・ボップ彗星が現れた!どうやら彗星特集の番組をやっているらしい。ハレー彗星にウエスト彗星。ベネット彗星に池谷・関彗星等の映像が次々に紹介された。特に1965年10月21日には、”イケヤ・セキ彗星”が太陽のコロナの中を通過する軌跡がちらと出たが、マイナス12等という驚くべき明るさとなって白昼、太陽のそばに光っていたことを思い出した。

[ヘール・ボップ彗星の写真]
No.8 芸西天文台の60cm主鏡でクローズアップした
ヘール・ボップ彗星。
(1997年3月5日AM5時)


 ホウキ星というものは太陽や地球に接近してこそ明るく大きく発展するもので、今回のヘール・ボップ彗星は太陽や地球に、せいぜい1天文単位くらいの接近であるから、せっかく大物でありながら見場が悪く損をしていると思った。もしも、近日点を通る4月1日頃、地球がすぐそばにあったら天を圧する大彗星として夜空を翔け回ったことであろうと惜しまれるのである。つまり彗星が、もう2〜3ヶ月早くやって来ていたら、空前絶後の大現象が起こったことであろう。

 ハワイではホノルルのヒルトン・ハワイアンビレッジに宿をとった。半分は仕事や観光の目的もあったので、特に天体観測の理想地に陣取るようなことはしなかった。晴れればすぐ近くのワイキキの浜に星を見に出かけた。15階の窓から見る海岸は絶景で朝・昼・晩と景色が微妙に変化した。北のビル街の空は山岳が迫っているのか、いつも雲がかかっていた。天気の変遷の激しい所で、日本のように晴天が何日も続くということはないらしい。晴れていると思うと、いつの間にか曇る。夕方にはスコール。夜半にはまたいつの間にか星が出ているといった感じ。雨期に行ったニューカレドニアも同じような気象だった。ハワイでは良く雨に逢った。有名なダイヤモンドヘッドでは記念写真を撮る時間だけ止んだ。6日ほど滞在して、星が何とか見えたのは2日くらいだった。南天に高いはずの南十字も見たかったが、ホノルル滞在中は、ついにそのチャンスには恵まれなかった。アラモアナ・ビーチで見た夕日の赤さ。たちまちスコールに見舞われ、その後やしの木のこずえにカノープスが出た。
[ワイキキの写真]
No.9 ホテルの窓から見たワイキキの
浜付近の夕景

 3月13日の午前4
時、ホテルを出て
歩いて海岸に出た
。昼間は観光客で
にぎわう繁華街も
ひっそりと鎮まり返
っている。ビーチま
でわずか10分足ら
ずで到着した。海
のほうにさそりが
大きな曲がった巨
体を見せ、機上か
ら眺めたケンタウ
ルス座のα星
(Rigilkentaurus)
が異様に明るく暗
い海面に浮かんでいる。南十字はすでに地平線下に沈んでいるらしい。珍しい南の星たちに、しばらく恍惚として見とれる。波は極めて静かで潮騒の音はまるで聞こえぬ。

 午前4時30分になった。日本で見るよりはなかり低いはずのヘール・ボップ彗星を北のビル街の空に探すがなかなか見つからない。

 午前4時40分、ついに見え出した!短い尾を引いたヘール・ボップ彗星が乱立するビルの谷間に姿をあらわしたではないか!!ビルの空の昼間のように明るい大気の中、悠々と昇ってくる姿はさすが大物である。私は砂浜の上に三脚を立て35mmカメラを載せて固定で何枚か写真を撮った。私がシャッターを切る度に後ろの木立の中で珍しい鳥が「サンキュー、サンキュー」と鳴いた。
[ワイキキの浜、ビル、ヘール・ボップ彗星の写真]
No.10 ワイキキの浜でやしの木陰に
ヘール・ボップ彗星を望む。
(1997年3月13日AM6時)

 光度推定は難
しかったが1等星
より2.5倍明るい
0等星とみた。尾
は肉眼でかすか
であったが、小さ
い双眼鏡で3°
あまり確認された
。”ワイキキの浜
に立ってやしの
木陰でヘール・
ボップ彗星を見
てみたい”という
願望がようやくか
なったのである。
アルベニスの”や
しの木陰で”を口
ずさみながら帰路に着いた。

 ハワイ滞在中に2つの大きなイベントがあった。その1つはホール&オーツ楽団のロック演奏を聞いたこと。もう1つは陸上の花形選手であるカール・ルイス氏の公演を聞いたことである。ホール&オールの演奏会はホノルル市内の4,000人を収容するニール・ブレイズデルセンターで行われ、割れんばかりの大音響による生の音楽を堪能することができた。カール・ルイス氏の講演は3月15日に同じホールで行われた。日本では馴染みの選手であるが、ステージに現れた時には非常な長身に見えた。精悍で礼儀正しく好感が持てる青年だった。こんな大聴衆の前で”語る”のは滅多にないチャンスではないだろうか、と思った。大聴衆の中で走っても今日は走るのではなく”語り”がすべてなのだ。約1時間にわたる講演は陸上にかけたルイスの情熱の全てであった。彼は第1に計画性を持つことの重要さを説いた。第2にその計画を実現すべく努力すること。もし、悪い結果を招来したとしても、その悪い面は忘れ、良い結果のみを見つめて邁進するべきだ、とも語った。そして第3に、選手生活を続ける以上、最善の努力は終生続けるべきだと説いた。これらはスポーツ選手にとって至極当然の原則かもしれない。しかしこれを忠実に実行することは困難である。過去永きにわたって数々の光栄の座に着いたルイスが今なお現役として活躍し、人気の高いのも、年齢的なハンディーを背負いながらの彼のひたむきな努力によるものだと痛感した。中には薬物を使用して、ただ勝つことだけに徹する選手の存在する中、ルイスこそ本当のスポーツマンだと悟った。ルイス氏が講演で強調したことは、私たちの天体発見の世界でも全く同じことが言えると思った。名誉や高名に走る人には決して発見のチャンスは訪れない。常に謙虚で真摯な努力を重ねる人にこそ光栄がやってくるのである。カール・ルイスの講演会はハワイに来ての意外な収穫であった。万雷の拍手に送られ、煌煌たるステージの上で両手を挙げながら挨拶し退場していくルイスの姿が何度か熱い涙で曇った。

[ホノルル市街の夜景の写真]
No.11 15階のホテルの窓から見たホノルル市街の夜景

 3月15日、ハワイを後にした。この滞在の最終日に、やっと常夏の国らしいカラッと晴れ上がった日和に恵まれた。この日は1,500人ほどの観光客が日本から到着するという。もしホウキ星を見るなら、今からがチャンスではないだろうか、とちょっぴりうらやましく思った次第である。

 機内で、ハワイに滞在した6日間のことを回想した。最も印象に残った出来事が走馬灯のごとく頭の中をめぐった。出発の機内から望見したケンタウルス座の輝き。ダイヤモンドヘッドから遠望したワイキキの浜の美しさ。ホテルの窓から見たホノルル市街の百万ドルの夜景。その華やかなビル街の隙間から人工の光に負けじと力強く昇ってきたヘール・ボップ彗星。この情景は2,500年に1回しか見られぬと思うと、その価値観が増大した。そして最終日に聞いたカール・ルイスの講演。これは久しぶりに味わう感激であり収穫であった。私自身、年齢を克服しながら努力していくことを心に誓った。

 私は、これを機にカール・ルイスの星を見つけたいと思った。芸西天文台で発見した小惑星に”ルイス”と命名しようと思う。いつになるか分からないが、この偉大なランナーの名を星空に永久に記録したいと思う。もしルイスが引退しても、カール・ルイスの星は永遠に宇宙を駈け、のちのちの人にその偉大さを語り継いでくれるであろう。栄光のランナーのシンボルとして。これらは遠い宇宙からやってきたヘール・ボップ彗星のとりもつ縁であったと思う。

 帰路の機内でそのような想いをめぐらせながら、私はいつになく爽快な気分で空気の揺れにみを任せていた。

−おわり−



Copyright (C) 1999 Tsutomu Seki. (関勉)