この彗星は良い写真と言うより面白いエピソードがあります。
まず羽根田利夫さんの作ったコメットシーカーは私(関)の88mmF7屈折鏡の完全なコピーだったことです。1961年Comet Seki (1961f)が発見された時、多くの人がその小さいレンズに驚き、そしてコメットハントを志す人が好んで、そして半ば縁起を担いでこれと全く同じ物を私のレンズを磨いたメーカーに発注したのです。更に驚く事にこれらの2枚玉の屈折鏡はすべて手磨きだったのです。これらのレンズを研磨した人は”現代の名工”としていまは名高い苗村敬夫氏だったのです。そして実際にこの小さなレンズで発見した人が他にもいる事を考えるとこれは単なる偶然ではなかったかもしれません。この小さなコメットシーカーは、その後あのイケヤ・セキ彗星をも映し出すことになるのですから。
1978年9月1日、羽根田さんはあまりはっきりしない夏空に、観測行きを躊躇していました。そのときいつもお供する飼い犬がワンワンと吠えたといいます。犬の誘いに誘導された羽根田さんは「それでは行ってみるか!」と重い腰を上げたと言います。
日本の昔話に「花さか爺さん」というのがあって、裏の畑で「ポチ」と言う犬が盛んに鳴くので爺さんが畑を掘ってみると大判小判の宝物がザクザクと出たという話があります。
羽根田さんは犬が吠えるのでその晩探してみると彗星が見つかったと言うなんともめでたいやら滑稽なやらのお話で私はすぐ日本の昔話を思い出したわけです。
しかし羽根田さんにとってすべてが幸せではありませんでした。南アフリカのカンポスさんと見つけたこの彗星は、それから杳として消息を絶つ事になるのです。周期は5年半、芸西でも彗星の回帰ごとに随分捜索しましたが、ついに再発見に至りませんでした。
夢の中で犬を連れた老人が現れました。そして
「関さん、彗星を見つけてください。」
と懇願するように語りました。それが羽根田さんであったかどうか私にはわかりません。あるいは最近収獲のない私に対する戒めの言葉だったかもしれません。
羽根田・カンポス彗星は永久に見つからないでしょうか?羽根田さんらの発見した時、特別に増光していたとも考えられます。おそらく普段は大変に暗いものと想像されます。
しかしここに1つのニュースがあります。1984年に芸西で捜索撮影した1枚のフイルムに彗星らしい幽かな影があります。それは明らかに羽根田・カンポス彗星のモーションに一致して運行しています。私はこのイメージを見た瞬間6年前の同彗星の姿を連想しました。位置は精密に測られました。しかしその結果はこの彗星の軌道と巧く調和しないのです。これはたまたま別の彗星が運行していたものか、あるいは彗星独特の非重力効果で外れてきたものか?しかしこの方は見込みが薄いと思います。今後の捜索でもし見つけるようなことが有ったら羽根田さんのご霊前にきっと彗星の写真を捧げましょう。