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思い出の彗星

関彗星
C/1961 T1 (Seki)

 これは私の人生の明暗を分けた彗星です。
 それまで使っていた15cmの反射鏡を放棄し、更に小さな9cmの屈折式コメットシーカーへと移行したのです。世間から「なぜ小さくしたのか....」の質問が殺到し、しかも私のコメットシーカーを真似て、同じ口径、同じ倍率を使用するハンターが続出したのです。
 それには意味がありました。過去10年間、視野の狭い、しかもピントの極悪な鏡に心身共に浪費し、疲れ心機一転して小型ながらピントの良いしかも能率的な広角のコメットシーカーを望んでいたのです。この新しいコメットシーカーは珍しい苗村敬夫氏による手磨きの傑作で、観測場所も、それまでの工場跡から南に80mほど移動した自宅の中庭になりました。エルフレ33mmアイピースの使用によって視野は明快となり、実に3.5度の実視野を得ました。その結果1時間もあれば東天の大半を見てしまうという効率のよいもので、その後で発見した「池谷・関彗星」なんかまず東北天を捜索し収獲が無かったので、残った僅かな10分間で、こんどは東南天を探して発見すると言う、これまでの15cmでは絶対に出来ない発見でした。ピントの良いことは観測者の心を一にします。視野の端近くをかすめ通る朦朧とした天体を目ざとく恒星と見分けます。こうして薄明の始まった白い空(10度の低空)に7〜8等級の彗星を発見する事が出来たのです。苦難に満ちた私の人生の新しい出発点でした。
 関彗星は1955年の本田彗星から6年目の日本での彗星発見でした。この僅か88mmのレンズが日本での彗星ブームの口火を切ったのです。
 関彗星は、間もなく地球に突入するように接近し約1ヵ月後の1961年11月の中旬には地球に0.1天文単位と接近し、なんと1日に35度も移行していきました。11月14日の朝には3等星でコマは40分角にもなりました。天体写真の殆ど経験のない私でしたがペンタックスに200mmの望遠を取り付け、しかも経緯台に乗せてシャッターをきりました。早暁の速い出来事でしたがこの大接近が当時新聞等で報道される事も無く、日本では極めて数少ない人が望見したに過ぎませんでした。高知市では私1人(?)が深夜の寝鎮まった空でのこのショーを望見していたのです。ケンタウルス座を南に去り行くホーキボシを眺め「本当に努力を続けて良かった!」という実感を噛み締めている私でした。


ケンタウルス座を南下していく関彗星 C/1961 T1 (Seki)
1961年11月14日 4時(J.S.T)
200mm F3.5望遠レンズ 5分間露出



Copyright (C) 2006 Tsutomu Seki. (関勉)