今から遠く1881年、イギリスのコメットハンター「デニング」によって発見された彗星は、一世紀近くも闇のなかをさまよい、1978年10月、香川県大野原町の鋭眼のハンター、藤川繁久氏によってキャッチされました。ここで「72P」として、その存在が確実になったかと思われました。
しかし次の1987年には見つからず、再び闇の中に消えて行きました。この時、芸西では60cm反射望遠鏡が完成しており、彗星の運行する線上を、相当に広く深く捜索しましたが、発見に到りませんでした。
ところが藤川氏発見から36年の歳月を経て、東京の佐藤英貴氏によって無事捕獲されたわけです。これは佐藤氏の不断の努力と技術の高さ、それに遠隔操作する外国の機械と空の良さ等もあって奇跡の生還となったわけです。
しかし昔は結構バーストして明るかったようです。デニング氏発見の時は6等級で、その後1978年、藤川氏が再発見した時には10〜11等星で、発見の翌日の1978年10月12日、関が芸西の40cm反射望遠鏡で観測した時には、眼視等級が10.5等。コマは3分角以上に拡がり、尾は見えませんでした。彗星は急速に減光して行きました。この彗星はペライン・ムルコス彗星(18D/Perrine-Mrkos)と同様、バーストを起こした年のみに発見されているようです。