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連載 関勉の星空ノンフィクション劇場

 

- ホウキ星と50年 -

 

第42幕 天の川にハレー彗星の居た頃(1)

 

流れながれて落ち行く先は
  北はシベリア南はジャワよ
 という流浪の歌があったが、1986年前後のハレー彗星が接近した頃には、随分とあちこちを飛び回った。北海道は冬と夏北見市に、そして最果ての網走付近には3度行ったし、南はわずか半月の間に赤道を2度越えた。いずれも講演会や観測会のための旅であったのだが、ハレー彗星にまつわる話で面白かったのは当時のJRが高松駅から高知駅までの土讃線に「ハレー彗星号」と言う6両編成の特別列車を走らせ、私が途中から乗り込んで、各車両のお客さんにハレー彗星の話をサービスして回った事である。
 一方海の方でも負けじと関西汽船が”ハレー彗星観測船”と称してお客さんを募集した。やはり私が乗り込んで、高知港から大阪の南港に着くまでの間、甲板でハレー彗星を見せ、そしてスライド映写機をつかって星の世界に案内をした。私の9cmのコメットシーカーはこのような場所でも活躍したのである。そして講演会の会場に、さては南十字の輝く南海の砂浜でも活躍した。もうこのような事は2度と起こらぬことであろう。

 そのころ本家の芸西天文台にも多くのお客さんが来た。なかでも忘れられない人は、ある航空会社の操縦士だったMさんである。あれはたしかまだハレー彗星の輝く1986年の春であったと思う。突然電話がかかってきて、高知に飛んできた日には現地で一泊となるので、その間ぜひ天文台を見学したいと言う。空港は芸西に比較的近いので都合が良いのだが、見学は一応5名以上の団体に限られているので、そのことを伝えると、なんと綺麗なスチューワデス5人を連れて来たのである。しかしあいにくと天候の方が思わしくなく、星を見ながらほとんどがドームの中でのお話となった。
 Mさんは子供のころから大の星ずきで、宇宙に一番近いところで仕事がしたい、と言うことで民間の飛行士を選んだそうである。今ならさしずめ宇宙飛行士を狙うところであったろうと思う。彼の話は面白く、中には現実を超越した様なはなはだ突飛な話もとびだす。あれはいつ頃だったか、多分1980年ごろの出来事であったと言う。まだ副操縦士の頃、北海道から本州にかけて宵闇の空を飛んでいた。事件はそんな時起こった。それは操縦室の左側の窓の外を青い円盤体が平行して飛び、飛行機をスーッと追い越していったと言う。Mさんは明らかに大火球だ、と思い、下界に降りて天文台に報告しようと思っていたら、すでに地上ではUFOが出た、とかで大騒ぎになっており、その日のニュースとして取り上げられていたと言う。Mさんは自信をもって大流星であると主張したが、マスコミにとってUFOの方がニュースとして面白いのか全く聞きいれられなっかたそうである。私の記憶ではこの大火球は天文の世界でも見た人が沢山居て「大流星」として決着が着いたのである。
 さらにMさんの驚くべき話をもう1つ。世がハレー彗星の接近で狂奔していた頃やはり彼は機上のもっとも高い場所で驚くべきハレー彗星の長い尾を見たと言う。その時も夕闇時やはり成層圏に近い高空を飛んでいた。彼の頭の中には無論この飛行中に誰よりも高い場所でハレー彗星を観測することが計画の中にあった。しかしハレーは常に飛行中の右後方に位置していた。無論このままでは着陸までハレーを拝むことは出来ぬ。彼は顔をすこし緊張させて
 「実は内緒ですがね....」
と言う。
すこし細い声になって
 「コースを右に90度ほど旋回させたのですよ....。」
 「そして右の窓からハレー彗星をゆっくりとながめ、そして再びコースを元にもどしました。」
と言う。その間およそ数十秒だったそうで、乗客も地上のレーダーも恐らくこの異常には気づかなかったであろうと思う。遠くの闇の中に近づいて来る羽田付近の点々たる灯を眺めながら超高空で見たハレー彗星の殊のほか美しい姿が、それにいつまでもオーバーラップして笑顔が消えなかったと言う。
 それから数年が経った。私は所用があって東京に飛んだ。機内のアナウンスで今日の機長とチーフスチュワーデスの名がつげられた。あのときのM機長の名が出たのである。私は懐かしくなって、羽田に降りるとき名刺の裏に
 「Mさん、お懐かしゅうございます。星の関です。いろいろ面白いお話を伺ったことはつい昨日のように鮮明に覚えています。良かったらまた天文台にいらっしゃいませんか。レンズの中の星の世界も機上で見るのとはまた違った趣があるものです。」
 と書いてスチュワーデスの一人に手渡したのである。その甲斐あって約10日後のある日彼から電話がかかり再び天文台に一行を迎えることが出来たのである。今回は前とは打って変わっての好天に恵まれ、芸西の星月夜を満喫する事ができたのである。
 それから再び数年の歳月が流れた。時々Mさんはどうしているだろう?と思う。もう恐らく定年を迎えられ、今頃はどっかで人並みに地上で星を楽しんでいることと思う。
 ハレー彗星の残していたエピソードは絶えないのである。

 (続く)



Copyright (C) 2007 Tsutomu Seki. (関勉)