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連載 関勉の星空ノンフィクション劇場

 

- ホウキ星と50年 -

 

第36幕 追憶の池谷・関彗星

 

 ハワイ島滞在の最終日はマウナウル付近の火山地帯の見学に出た。ヒロ君は個人的なお付き合いだから交通費は要らないという。私たち3人は相談して心ばかりのお礼を受け取ってもらう事にした。OAAの他の参加者はこの日の朝既にホノルルの向かっていた。私たち3人だけが団体からはずれたわけだ。
 ヒロの街はその日も曇って小雨がぱらついていた。しかしほんの15分も走って市街地を抜けると雄大なマウナロアの山容が眺められる晴天域にでた。マウナロアもマウナケアに比べてわずかに100m低いだけの火山だが、裾野が余りにも長いので高いという気がしない。丁度その緩やかの稜線を包むかの如く雲がかかって実に雄大な景観だった。
 まるでどぶ田のような色をした溶岩流のだだっ広い平原の中を一本の自動車道が果てしなく走っている。我々は途中、マウナウルの大きいクレーターのある近くの資料館を少時見学して更に南の海の方に向かって走った。同行の岡村さんはこの付近は二度目と言う事だったが、川添さんは地質が専門だから車が止る度に降りて地質を調べた。そして一個の小さな火山岩を私に見せ、「関さん、これ見てください、オリビンです。マグマの温度が1000度を越えると結晶してできた一種の輝石です。」と教えてくれた。なるほどよく見ると小さな石の側面に青や黄色の小さな結晶がこびりついている。私はその宝石のような輝きを見たとき一瞬「ハッ」とした。それはどっかで見た光に似ていた。そうだ!思い出した!!1965年10月21日、「イケヤ・セキ彗星」が近日点を通過した直後に見たあの燃えるような核の色だったのである。太陽表面から僅か35万キロの灼熱のコロナの中を通過した同彗星はそれから11時間後、100万度の高熱の洗礼を受けオリビンの輝石の如く太陽のそばに光り輝いていたのである。
 太陽監視衛星SOHOの見つけるクロイツ属の彗星は、その殆どが近日点の近くで消滅する。”飛んで火に入る夏の虫”である。しかし「イケヤ・セキ彗星」は太陽の近くで満月の数十倍の明るさに輝き、その高熱のなかを無事くぐり抜けたのである。
 「もう出発します!」と言う岡村さんの声を後ろに聞いていた。彗星は近日点から一週間ほど経過して、暁の暗い空に、まるでナギナタを立てたような、長い尾を引くようになった。その10月28日にアメリカのスミソニアン天文台が撮った写真はなんと私たちの行く手にドカーンと立ち塞がるマウナロアがその舞台だったのである。

マウナ・ロアに立つ池谷・関彗星
1965年10月27日
 池谷・関彗星の発見は我々二人にとって、正に奇跡とも言える発見であった。鋭眼で若きコメットハンターの池谷さんはその日台風通過中の正に台風の眼の中のわずかな晴れ間に同彗星を発見した。それから遅れること10分、私は台風通過後のクリヤーな空に発見したのである。台風襲来と言えどもひるまず熱心に空を監視していた池谷さんの手柄である。
 発見当時私が使用していたコッメトシーカーは口径がわずか88mmと言う小さな屈折鏡である。それまでの15cmの反射鏡を捨ててあえて小口径を選んだのには理由があった。15cm鏡は確かに集光力があった。しかし不出来な鏡のためコマ収差がひどく、視野1.5度で使用出来るのは中心付近の40パーセントくらいであった。従って広い天空の捜索にひどく時間がかかりまた端近くを通過する彗星はことごとく見逃した。10年近く使用した反射鏡を捨て、広角(3.5度)の屈折鏡を使用し始めたときには、水を得た魚の如く広い天空を泳ぎ周り彗星をもとめて跳梁した。私は明るい彗星の発見は太陽の近くの10分間が勝負だと思っている。
 この88mm屈折鏡の作者は今は名高い苗村敬夫の出世作(第1作)である。苗村氏はその後独立され大反射鏡を磨く”現代の名工”となった。また一方で池谷さんも独学で研究され沢山の名鏡を研磨された。お二人の反射鏡の優秀さは那賀川町科学館の1.1m鏡と佐治天台鏡によって立証されている。
 確か1975年頃だったと思う。池谷さんからNo.1の銘の入った反射鏡が贈られてきた。池谷・関彗星発見後の友情の鏡である。私はこの鏡をマウントする事によって池谷鏡によって映し出される星空の素晴らしさを知った。池谷さんが日ごろ捜索によって眺めている星の美しさを知ったのである。
 今はこの鏡は私の机上で光り輝いている。鏡を覗き込むときあの劇的な「池谷・関彗星」発見の思い出が蘇るのである。そしていつまでも心の糧として、観測に疲れたとき、そして苦しい時悲しい時、私を励まし続けてくれるのである。
 さて色々と「池谷・関彗星」の思い出を語ったが、ここでどうしてもお話しておきたい事実がある。その不思議な事件は彗星が遠くの空に去った今も私の脳裏を掠め、一抹の影を落とし続けているのである。



Copyright (C) 2005 Tsutomu Seki. (関勉)