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連載 関勉の星空ノンフィクション劇場

 

- ホウキ星と50年 -

 

第34幕 マウナケアの星(1)

 

 2000年8月のハワイすばる望遠鏡の見学行きには芸西天文台から岡村、川添、関のずっこけ3人組みが参加した。”ずっこけ”と言ってもそれは大方私のことで、見学な最終日ホノルルに泊まったが、天下のワイキキの浜で泳がない手はないとて、ズボンのまま飛びこんだ。
 岡村啓一郎氏は古くからのOAAの会員で元中学校の校長。高知市の理科教育センターにも席を置いたことのある理科教育のベテランで、今も芸西の天文学習館で子供たちに独特の巧みな話術で星を語り天体を見せている。
 川添晃氏は地質学者でもある元高校の先生で絵画や天体写真が趣味。OAAに入会したのは最近であるが、特に日食やオーロラに関心が高く海外にも度々出かけている。今回の海外旅行は英会話の巧い川添氏に随分助けられた。
 飛行機が関西空港を飛び立ったとき、私と反対側の窓際に座っている川添さんと、岡村さんがスチュワーデスと盛んに会話をしていたが、やがて川添さんが私の所へ歩いて来て、「関さん、驚いたこともあるものです。スチュワーデスの人がハワイのすばる望遠鏡のことを全く知らないそうです。」と言った。ハワイへの定期便だから天文台関係のお客さんを度々乗せていると思うし、天文台開所式の日には日本の皇室からも参加してかなり盛大な式典が行われたはずである。ただのミーハーならいざ知らず、若く教養があり次の時代を担うような人がこうした世界的な施設を知らないとはどうしたことだろう、といささか心筋寒からしむものを感じたのである。

 ハワイ島では4日間滞在したが、意外とお天気の悪いのにはおどろいた。タクシーの運転手も3日に1日は雨模様だ、と言っていたが、貿易風の影響でマウナケアの山麓は雲がたまり易いのだろうか。そう言えば山頂のドーム群はいつも雲海の上に光っているような気がする。
 現地時間の8月18日の午前、私たち見学の一行はマウナケア中腹にある「鬼塚記念館」に立ち寄った。ここでちょっとした意外な事がおこった。それはこの近くの天文台の宿舎で働く2人のアメリカ人(David A Byrne氏とTerry L.Teets氏)がわざわざ私に会いに着てくれた。1965年の「イケヤ・セキ彗星」はこのハワイ島では非常に良く見え、1965年10月20日、近日点に迫った同彗星は白昼太陽のそばに肉眼で観察されたそうである。標高3000mを超えるこの蒼い大気の下ではそれも当然のことだったろう、と羨望の念を持って改めて大空を仰いだ。はるか遠くにマウナロアの雄大な山脈が見えた。その緩やかな稜線のスロープを見ているとき、一瞬「はっ」とした。それはどっかでみた印象的な光景であったが、この時にはその重大さが思いだせなかった。

 一風変わったドームの中に収まったスバル望遠鏡は余りにも巨大で、その常識をかけ離れたスタイルに一見テレスコープと言う気がしなかった。もしかすると大爆発の起こった150億光年の彼方まで手が届くかもしれない巨大筒の下で記念写真をとった。思えば私が幼いころパロマー山の5m望遠鏡が完成し、未知なる大宇宙に立ち向かった。敗戦国家で極度に貧乏な日本はただ指を咥えて遠くから望見するしかなかった。あれから半世紀、いまや日本の天文学は世界の頂点に立ったのだ。多くの企業の広い底辺に支えられて毎日の活動が続いている。それにかかる1日の費用の額を聞かされておどろいた。すべてが世界一なのだ。直径8mの鏡面の裏には261本のアームが埋め込まれて、それらがコンピューターの指令に基づくモーターの作動によって一瞬たりともひずむ事なしに、理想的な回転放物面に保たれている。ドームの中は昼も夜の摂氏2℃に保たれて、昼夜の急激な温度差によるピント面での変化を少なく押さえている。巨大な鏡は毎年1回地下室に降ろしてメッキをやり直すそうで、その作業の困難が伺えるのである。天文台の説明は日本天文学会でヒロ市在住の中桐正夫氏が親切にやってくれた。肝心の赤道儀の運転精度は0.1秒角だそうで、超重量のものをミクロンの精度で動かす。そこには我々の想像をはるかに超越した困難があったはずで、数々の難関にぶつかるごとに新しい発明による新機軸で解決していく。人間の頭脳はなんと素晴らしいものかと関心させられた見学会であった。これでもしホウキ星を撮ったら何等星まで写るだろう?と彗星屋らしいことを考えたが、聞く話が余りにも壮大で平凡な質問は一切切り出せなかった。まだシンチレーシヨンを感知してピンと面がそれに同調して動くと言う正に革命的な撮影法の話があった様に思えたが私の聞き違いだったろうか。
 最後にお世話になった中桐氏に名刺を渡してお礼を言ったら「日本天文学会の総会で貴方に表彰状をお渡ししました」と言われてびっくりした。

 ヒロ市の宿舎に帰って一人くつろぎ、今日の見学のことの回想に耽っていると岡村、川添両氏が日本から持ち込んだ地酒を持って入ってきた。今夜のハワイでの星の観察の相談であった。折角マウナケアにやって来たのだから、なんとか世界一美しいと言われる頂上での星を見たい。ただし単独で夜山に上がることは不可能である。嘘か本当か1日に2度天文台に上がることは禁じられているという。マウナケア頂上附近の道は舗装も無く険しい。しかもライトを消して上がらなくてはならないと言うから危険である。そう言えば途中何台かの車がこけていた。
 「やはり夜のマウナケアはあきらめるか、、、」
今日一日の出来事を回想しながら、寝台に横になっていると突然ドアをノックする音が聞こえたのである。(この夜更けに何者だろう?)。奇怪な人物の登場となったのである。



Copyright (C) 2005 Tsutomu Seki. (関勉)