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連載 関勉の星空ノンフィクション劇場

 

- ホウキ星と50年 -

 

第33幕 終戦の年の星(2)

 

 西島園芸団地から突然訪ねてきた老人(元人間魚雷)の目的は実は他にあった。それは1945年の終戦前のある日、住吉の基地で合宿している時、太陽の昇る前の東の空に明るい星が幾つか並んで星条旗を形どったと言うのである。日本の劣勢が続いている中、明けの空にアメリカの国旗が輝いたので、老人は「これで日本が負ける」と思ったそうである。本人はこの星が何であったか、あれから半世紀近くも経って私の所へ確かめにやって来たのである。それは恐らく惑星他いくつかの明るい星が、たまたま並んで旗の如く見えていたのだろうと思ったが、今となっては確かめようがなかった。

 しかしそれに関連して、私は同じ頃白昼妙な星を見た経験があった。それが半世紀たった今も何であったか解決しているのである。それは終戦の年の5月か6月のことである。震洋隊の駐屯していた住吉海岸から15kmほど西の稲生(いなぶ)という所で当時中学生だった私は学徒動員として本土防衛の関東軍の指揮下で働いていたのである。目的は土佐湾の海岸にそそりたつ山に横穴を掘って、連合軍の敵前上陸を迎え撃つと言うものであったが、その作業の苦しさは言語に絶するものであった。標高500mクラスの山の頂きまで重い木材を担いで上がるものだが、午前中1回、午後1回の重労働を10代の若さで耐えぬいたのである。私たちはこの様な重労働は世界にここ1つと言う誇りのようなものを持っていた。それも「お国のために...」という信念と情熱で支えられていたと思う。木材を高い頂上に運びあげると私たちはぶっ倒れて動かなくなった。
 その様なくだりのある午前、仰臥したままよく晴れた大空を見ていると、突然誰かが「あれはなんだ!?」と叫んだ。指さす方向のほぼ天頂とおぼしきあたりにポツネンと1つの光物があってじっと輝いているのである。それはたちまちにして大勢の眼に止まるところとなって九天を仰ぎ、「敵機の落とした爆弾だ!」とか「いや落下傘だろう」とか、あるいは「日本の放った風船爆弾に違いない」などの賑やかな憶測が乱れ飛んだ。(風船爆弾については私の家がいささか関係しており、のち戦慄すべき事件に巻き込まれるのだが、これは後の語りの楽しみとしておこう)。実はこの何日か前に高知市が空襲に遭ったり、あるいは本土爆撃のB29が南に遁走中、松山航空隊の「紫電改」の攻撃を受け高知市の鷲尾山に墜落、乗組員がパラシュートで降下するなどするなどの危険な出来事が頻繁していたので、私たちは空に関心を持ち余計に神経質になっていたのである。
 その怪しい星の正体は今となってみると恐らく金星であったろうと思うのだが、元震洋隊の隊士が見た不思議な星座のこともあって、その正体を確かめたくて、天文屋でありパソコンの使い手でもある下元繁男さんに調査を依頼したのである。ところがなんとその日のうちにメールが届き、1945年5〜7月の地球から見た惑星の位置が太陽中心に図示され、しかも地上からの立体図も描かれているのである。やはり犯人は金星だった!西方最大離隔の頃の金星が地球から最も見やすい位置にあり、他に火星と水星が直角三角形にならんで旗の輪郭のような形になっていることも判明した。しかし老人の言う星条旗なら旗の片隅に沢山の星が入っていなければならないのである。(老人は終戦前の夜空に一体何を見たのだろう?)。この疑問はあの日から長いこと私の胸にわだかまって解けなっかたのである。

 こうして2000年の夏が訪れ(あの日から55年経った)、お天気の良い土曜日、芸西天文台の一般公開があった。時刻と共に星はますます冴え天の川がくっきりとうかんだ。時折みずがめ座の流星が活動を見せていた。このとき誰かが「あの明るい星はなんですか?」とさけんだ。東の低い森の上に木星と土星が姿を現そうとしていた。「惑星ですね。長いこと見られなかったので懐かしいですね。」と答えた。そして、「双眼鏡で覗いて御覧なさい、四つの衛星がみえますから」とつけ加わえた。すると子供連れの婦人がじっと見ていて「衛星は1つしかみえません」という。そこでドームの中から10cmの双眼鏡を持ち出して見ると、なるほど1つである。他の3個は本体と重なって見えなくなっているのである。「珍しい現象ですね、こんなこともあるものですね」と言って笑っていると、誰か男の声で「スバルだ!スバルが見えて来た」と叫んだ。スバルは森の木立にかくれる様にして可愛く光っているのである。
 惑星たちとスバルか、可憐な眺めだと思いながら見ているとき私は「ハッ」とした。震洋隊生き残りの兵士が終戦の頃見たと言う星空の星条旗とはこのことではなかったろうか? つまりその日は3つの惑星と何かの輝星で旗の輪郭を形作り、その中にスバルが入って夜空の”星条旗”を形成していたのではないだろうか!?黎明のすがすがしい夜空に浮かぶ星の星条旗。その余りにも美しく凛々しい光景に、彼は日本の敗戦を予感したものだと思った。

 しかし終戦の翌日発せられた「ワガ敵南方洋上ニアリ、第158震洋隊出撃セヨ」との怪電報の謎は今も解けていない。日と共に月とともに疑問は高まるのである。



Copyright (C) 2005 Tsutomu Seki. (関勉)