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連載 関勉の星空ノンフィクション劇場

 

- ホウキ星と50年 -

 

第12幕 ”火星星団”のやって来たころ

 

 海野十三の『火星兵団』は、少国民新聞に昭和14年9月24日から、翌15年12月31日まで460回にわたって連載された。海野氏は子供向けの科学小説が得意で、このほかにも『火星魔』とか『大宇宙探検隊』、或いは『地球要塞』といった作品も発表している。しかし何と言っても、当時の日本国中の少年少女の血を湧かせ、大宇宙への夢をかき立てた作品は、この『火星兵団』を他にして無かったであろうと確信する。
 しかし時代は戦時中(日中戦争)という特殊な状況下にあって、小説も当然ながら国民の戦意を鼓舞(こぶ)するような作品が多かった。しかし何もかも軍国主義に徹するほどに国民の生活は逼迫(ひっぱく)していなかったように思う。
 そのころ、同新聞に地球規模の壮大な冒険小説が連載され多くの読者を得た。そして物語りは発展し、ついに地底王国を発見するというくだりだったが、物語が正にクライマックスに達しようとしたとき、連載は突然中止された。何と若いSF作家に徴兵の赤紙がきたのだ。小説は多くの謎をはらんで中断され読者の落胆は大きかった。『○○先生が元気に帰国された暁には、きっとこの続きを書いていただきますから、どうかその日を楽しみにお待ちください』という編集者の願いも虚しく、ついに若い作家は還って来なかったのである。山本有三氏の有名な『路傍の石』が”主婦の友”に連載されていたが、軍の圧力によって中止を余儀なくされたのも、その頃ではなかったかと思う。そうした不安な時代に、その後を受けて登場したのが『火星兵団』であった。本来なら仮想敵国を米英に置くべき時代に、海野はその目を火星の世界に向けさせたのである。

 昭和××年のある深夜、群馬県の深い山中にロケットの1団が到着する。そしてその数日後、東京市内(当時は市)に鉄パイプにガードされた蛸のような形をした火星人が、黒い帽子に黒マントを着用し、我が物顔を跳梁を始めるというストーリーである。
 当時はイタリアのスキャパレリーやアメリカのローエルらの研究で、火星には高等な生物が住んでいるかもしれない、と言われていた時代で、一部の科学者が空想した奇妙な火星人の姿を海野も想像したらしいが、小説の中で海野氏は、火星人を動物ではなく、血も情けもない植物として取り扱っているところが面白い発想だと思う。当然、地球の科学者との間で熱い戦いが繰り広げられるのだが、そのころ実は宇宙に異変が現れる。イギリスの天文台で発見された”モーロー彗星”が刻一刻地球に接近し始め、ついに衝突することが判明する。この恐怖は、恐らく海野が13歳のとき接近してきた1910年のハレー彗星の体験が生かされていると思う。
 さてモーロー彗星との衝突から逃れるため、地球占領を諦めた火星人の集団は、いち早く地球を離れるのだが、遅れ馳せながら完成した地球人のロケットに乗った科学者の一行は、逆に火星人を追って火星の世界に飛びこむことになる。途中で立ち寄った前人未到のはずの月世界に、缶詰の空き缶が落ちていた、という発想は甚だミステリアスで面白いと思った。また火星に到着するまでの何ヶ月かの間(小説では非常に早かった)に、いつも宇宙船の窓から眺められる青く美しい地球に、ヘール・ボップ彗星を遥かに凌ぐと思われる巨大彗星がぶつかることになっているのだが、そのころ熱心な全国の読者から「どうか地球を守ってください」とか、「美しい地球に彗星をぶっつけないでください」とか言ったファンレターが相次いだと言う。
 モーロー彗星が万有引力の法則に基づいて正しく運行している以上、彗星と地球との衝突はもはや避けられない。その衝突劇は何日の何時何分に至るまで正確に求められていたのである。しかし彗星が地球にぶつかって世界の終わりが訪れるのなら、小説もそれでおしまいである。何とか正攻法に頼って衝突を回避させなくてはならない。そこで科学者たる海野十三は他のSF作家では到底思いつかなかったであろう奇想天外なる方策を思いつくのである。
 今ならロケットを飛ばして、原子力を利用して彗星を破壊するとか、事前にその軌道を変えさすとかの、人為的な努力が注がれるところであろうが、流石海野氏の時代には、そこまで考えが及ばなかったと見える。
 しかしモーロー彗星と地球が衝突する運命の日、その時刻が過ぎても銀の櫛のような美しい地球は今日も宇宙船の窓いっぱいに輝いていた!
 さて次回は海野十三の考えた地球と彗星との衝突の回避について、正に奇抜な着想を紹介しよう。

 このとき「コトリ」と物音がした。ハッとして我にかえると私はまだ海野十三の書斎にいた。物音は天井裏のネズミらしかった。海野氏の古色蒼然たる机のそばで私は”火星兵団”の回想にひたっていたのである。古びた周囲の唐紙の風景を描いた模様が、私には蕭条たる火星世界の光景に見えた。SF小説の世界であるが誰よりも先に火星に旅した男海野。着陸したロケットの周囲には、うら淋しい荒涼たる世界と奇妙な火星人の姿があった......。「ミシリ」とまた足音がした。古い唐紙を開けるとそこには海野氏の描いた火星人”丸木”が立っていそうな気がして私の胸を一瞬緊張が走った。
 思えば、この小説はその様なスリルとサスペンスに溢れていた。
全国の少年少女の血を湧かした『火星兵団』の素晴らしい発想は、もしかするとこの四畳半の部屋から生まれたかもしれない。あれから半世紀以上も経って、当時の愛読者の一人が今ここに立っているのだ!(海野先生ありがとうございました)。
 私は暗くなった部屋に静かに手を合わせ家を後にした。早春の夕暮れに包まれた街の空に、木星がようやく輝きを増そうとしていた。
 



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